結婚指輪を買った話
こんにちは。
少し前に結婚指輪を買いました。もうすぐ手元にやってきます。
パートナーシップをするにあたって、区切りとして結婚指輪が欲しいとわたしから言いました。多分。
今までは付き合って3か月くらいの時に、お店に行って自分たちで作ったペアリングをずっとしていました。5000円くらいのやつ。
メッキが剥げてきた気がするし新しいのが欲しいね、と話していたところだったので、タイミング的にもちょうどよく、あっさり承諾してもらえました。ヤッタネ。
結婚指輪を買うのはいいけど出せても2つで10万くらいですよ、と釘をさしてくるパートナーの話を、お金もないしそのくらいだよね~でも金額が違うとどれくらい違うのか気にならない?!などととうまいこと誘導し、ジュエリーショップに連れていくことに成功。
私が予め1人で下見をし、目星をつけてから2人で見に行きました。
そこまで乗り気じゃなかったパートナーも、見ているうちにあれがいいこれがいいと希望が出てきて、デザインが固まったところでもう1店舗。
2店舗目で無事にオーダーすることができました。4時間かかりました。結局予算は上乗せです。
指輪の形、素材、デザイン、色に刻印に、ダイヤモンドのグレード選び。めちゃくちゃ大変でした。
だけど個室でオーダーさせてもらって、本当に欲しいと思える指輪をオーダーできました。本当に良かったです。
購入した決め手は、店員さんの人の好さでした。二人で、この人にだったら信頼してお願いできるなと話していて思えたので。
百貨店に入っているブランドとか、ダイヤモンドといえばここ、とか、ブランドとか、結婚指輪選びって一生に一度しかない機会なので大きい顔して入れる今がチャンス…!と思ってほどほどに見に行ったんですけど、店員さんの対応がこうも違うのかと驚きました。
2人で見に行く前、一人で見に行ったんですが、当然男と結婚するんですよねの前提で話が進むので気を遣うし、相手の指のサイズが同じくらいで…と伝えるとええ?!?!と驚かれて3回同じことを聞かれたりしました。いくら私が親しみやすいからってそれはどういう…?
追及してくる店員さんもいれば、軽く流して全く触れてこない店員さんもいました。
2人で来店予約して見に行った店舗も、接客してくれる店員さんの数がやたら多かったり、いや、うん?って思う機会は何回かありました。
それよりも、私が女なので1人のときは「新郎さんにはこちらが~」とか、連発されるんですよね。我々が一般的じゃないのはわかってるのでいいんですけど、「お相手の方には~」のほうが私たちは違和感なく聞けるし、騙しているみたいな妙な罪悪感もなく話が聞けました。
新郎など、私の結婚相手が男性であると連想させる単語をほぼほぼ使ってこないブランドもあって、いや~~~こんなに違うもんかね!と驚きました。
あと来店したときに個人情報を書く紙が渡されることが多いんですが、左が新郎で右が新婦なんですよね。「結婚する人ひとりめ」「結婚する人ふたりめ」とかでいいんじゃない?と思いました。
指輪を職場でするつもりなので、かかわりの深い人にはカミングアウトし始めてるんですけど、終わらないです。わざわざ呼び出して話すの神経すり減る。だけど周りには「オープンですよね」って言われるので本当に勘弁してほしいです。紆余曲折あったんですけど…という気持ちです。以上です。
パートナーシップをする話
3月末にパートナーシップ宣誓をしに行きます。
それに伴って結婚指輪をオーダーしに行ったり、式場を探したりしています。結婚式は2023年とかだけど。
パートナーシップ宣誓をすることになった直接のきっかけは、恋人に誕生日プレゼント何が欲しい?と聞かれたときに、パートナーシップしたい、といったこと。
何がきっかけだったんだろうな、と思ったりもしたけど、一緒に住み始めてからゆっくり確実にいろいろなことが変わっていった結果かなと思います。
特に年末年始から、それぞれの実家に顔を出したり、恋人が私の実家に来てくれたり、私が家族にカミングアウトしたり、腰を痛めたり。激動でした。家族とは、結婚とは、と二人で考える機会が増えて、喧嘩もたくさんしました。まじでめっちゃ喧嘩した。たぶん普段から喧嘩は多い。
書き残したいことが山ほどあるけど、ここ最近の私はこんな感じでした。身内の怪我とか病気に直面して、将来のことを考えたり調べたりしましたが、ロールモデルが本当に少ない。男同士ならあるけれど、女同士って本当にない。びっくりした。同性愛者のカップルって本当に社会の外側に居るんだなと感じました。
先が見えない怖さはあるけど、それでもパートナーシップ制度があって、公に批判したら後ろ指刺される、今の時代に生まれてきてよかったなと本当に思います。
自治体が応援してくれるし、携帯が安くなったりするし、いいことあるじゃん、って感じです。
2人で話していて、我々はたぶんいい意味でも悪い意味でもパートナーシップに期待していません。だってこれはただの決意表明だもの。家族になる、一緒に生きていくための手段で、目的でない。今後公正証書も作るつもりでいるし、それだけの覚悟があるよっていう主張がしたい。
特に何もできない私たちだけど、これからの当たり前を作れるように、ただただ生活していきたい。
結婚式や結婚の体裁を取りたいのは今までかかわったすべての人に、嘘をついてきてごめんなさい、今まで人生に関わってくれてありがとう、わたしはこんなに幸せだしこれからももっと幸せになります、と伝えたいからです。あと当たり前みたいな顔して祝ってくれ。という一世一代のわがままです。
結婚指輪を買う時も、式場の相談をするときも、みんなが私たちに「おめでとうございます!」って言ってくれるのが本当にうれしかったんです。毎回泣きそうになりました。割と情緒不安定でした。
そうやってだんだん家族になっていく過程を、今は楽しみたいなと思います。誰がなんと言おうと私の家族は女性(と犬の男の子たち)なので、変にごまかさずに、すこしだけ勇気をだしてみてよかったなと心から思いました。
あ~~~~~~~~~~~~~~~~全世界に手放しで祝福されたい!!!!!!!祝福しろ!!!!!!!!!!!!!ありがとう!!!!!!!!!!!!!!
同棲生活備忘録
こんばんは。
前の記事からもう半年以上たってますね。
げんきですか。
私はいろいろありましたが元気です。
3か月前、引っ越しました。
引っ越してからというもの、主にお金の使い方や価値観の相違で話し合いが増えました。ここ最近急に増えたので、所謂自粛疲れと仕事に影響が出ていることが原因で恋人のストレスが限界に近いんだろうな、と思っていた矢先に爆発したみたいです。
国の制度で結婚が出来ない私たちにとっては、同棲が最終地点でスタートという認識があるので、しっかり話し合ってひとつづつ前に進んでいこうと思います。
家族が一人増えました。犬が2匹になりました。最高にかわいくて今私はこの子たちのために生きています。愛情をたっぷり注ぎ、めいいっぱい遊んで、甘やかして叱って一緒に過ごしたいと思います。コロナ終わったらいろんなところに行きたい。
社会が混乱している今、社会的な補助を受けられない立場なんだなと思い知らされることが本当にきつい。
幸い私たちの仕事に影響はほぼないんですが、もろに影響を受ける業種だったら、とぞっとしました。いくら一緒に住んでいても籍は入れられないんだなあとか、恋人がコロナで重症になり入院した場合、パートナーシップを組んでいても病院の判断で家族として判断してもらえるのかわからないとか、目を背けていた現実を目の前に突き付けられた感じです。
今、私の夢は楽しく普通の生活を2人と2匹で送ること、です。
普通って難しいんだね。
仕事して、お金稼ぎます。自分たちを支えるのは自分しかないんだなと強く思いました。がんばります。
社会とわたし
恋バナの話
わたしの周りには、性的少数者と呼ばれる友人がたくさんいる。かくいうわたしもバイセクシュアルと呼ばれる性的少数者なのだと思う。多分。
そんな人達に囲まれていると、とても気を遣う話題がある。
それは恋とか愛の話。恋バナとかいうやつ。
私は、人の恋愛の話を聞くのが好きだ。好きとか嫌いとかそんな話を通して、楽しそうにする友人を見るのがとても好きなのだ。
ここ数年、異性と生まれて初めて付き合ってみて感じたことがある。「思ったことはそのまま言えねえな」、ということ。
わたしは性的少数者でありながら、今はマジョリティ側の人間になってしまった。
いくら昔同性と付き合っていたからって、「わかるよ」などと言えなくなってしまった。そもそも立場も歳も抱えてるものだって全然違うのに何が恋バナだよ…とまで思うようになってしまった。
たとえば、誰かの「結婚」とか、「こども」とか。噂話のレベルでも話題にするのを戸惑う。
「結婚」やその他が、もし私の身に起きたらどうだろうか。
一番に報告したい人達なのに、そのまま、ありのままの気持ちを伝える前に受け取り方を考えてしまう。
傷つけたくない余りに言葉を選んで、なにも言えなくなってしまう。
自分自身、以前はそういう話題になると社会から疎外されている気がしていた。わたしたちがわたしたちでいるだけだと社会から認められないんだ、なかったことにされるんだ、と思っていた。
今思えば認知が歪んでいると思うが、10年前、思春期真っ只中のわたしはそう考えるのが精一杯だった。
そんな気持ちになってしまった過去がある分、友人に同じ思いはさせたくないし、気も遣わせたくない。
同棲の重さも違うし、結婚の重さも違う。子供をもつことの大変さも、世間の目に両親の目に親戚の目。何もかも違うのを体験してきたからこそ迂闊なことは言いたくないし、大切な人たちに悲しい思いをしてほしくない。
女の子と付き合ってきたからこそ気になってしまうし、周りの多様性を意識すればするほど当事者との溝が浮き彫りになってしまう気がする私の至らなさが悲しい。
考えすぎかもしれない。だけど、この問題はわたしが一生付き合っていかなければならないものだと思っている。
今のわたしは関わった全ての人で出来ているし、なかったことになんて絶対にしたくないからこそ、ちゃんと折り合いをつけなくちゃいけない。
私の過去の恋愛を知っていて、今の恋人のことを知っている友人に、「(異性と付き合えて)良かったね、安心した。」と言われてひどくモヤモヤしたことがある。
「そんなつもりじゃなかった」などといくら言われても、それは免罪符にはならない。ならないのだ。
モヤモヤは一生残るし、不信感だって拭えない。
口から出た言葉はなかったことにはできない。何があっても。
「言葉は力を持つ」なんてこと、生まれてこの方何千回何万回と感じてきた。
だからこそ、怖いから、傷つけたくないから口をつぐむのは絶対に違う。
多様性多様性などと盛んに言われている昨今、自分と異なるものを受け入れられない気持ちを抱くことが罪のような印象を受ける。
よくこの問題で、議論がすり変わっているのを見かけるが、根本的な原因はここにあるんじゃないかと思っている。
「自分がそう思っている」ことを認めたくなかったり、認められない自身のプライドが邪魔をするのだ。
「社会的な生き物」であろうとすればするほど、感情でなく社会常識で物事を推し量ろうとしてしまう。
多様性云々言う前に、「感情を抱くこと」は罪ではなく、寧ろスタートであることを意識して、自分の気持ちに素直にならなきゃいけない。
思ってしまうことは罪ではないのでそれを受け入れたうえで、考えることをやめたくないなあと思います。
帰る場所の話
つい考えることをしないわたしになりたい、と、何度も何度も思ってきた。
また思っている。
一年以上ぶりに、地元に帰った。
久しぶりの実家は、記憶にある実家よりものが減っていた。
思い過ごしかもしれないけど、わたしが見ていた風景から少しずつ変わっていく景色に、寂しさと日常を感じてしまった。
わたしが毎日生きているように家族も毎日それぞれの人生を生きていて、生きていれば死ぬんだな、とも思った。
髪のボリュームが減った祖母に、以前より痩せた祖父。シワが増えた母と、小さく見える父の背中。
この人たちの愛に比べたら、わたしのやりたいことや考えていることなんて吹いたら飛ぶくらいちっぽけなもので、今の日常と比べてみたら、もう、何が大切なのかよくわからなくなった。
意地を張って、気を張って、わたしはなんで一人で生きているんだろう。この大好きな人たちに、あとどのくらい会えるんだろう。
なにも考えずに毎日ちゃんと働けていたら、こんなに後ろめたさや罪悪感は感じなかったのかな。
ちゃんと働きたかった。安心させてあげたかった。
不安そうな顔じゃなくて、喜ぶ顔がたくさん見たかった。
実家は「帰る場所」ではあるけれど、「居場所」じゃないのは重々分かっている。
もう、ほんとに、やだなあ。わたしに見える現実は、今目の前にあるひとつしかないのに。
やだやだ。
名前の話
わたしは、物に名前をつける習慣があった。
たぶんどこかのだれかに影響を受けた習慣なのだろうとは思うけど、そのどこかのだれかが誰だったのか、よく思い出せない。
「なんとなくかわいい女子に見られたい」と、「あまりにもわざとらしいのは嫌」という心理が働いた結果かな、と思っている。
いまになってみれば、何者にもなれなかったわたしが自分の持ち物に名前をつけて居場所を与える、って滑稽だな、と思う。
きっとあの頃は何者かになれると思っていた。
その昔、自分の所有物に名付けるときに、同じものは数あれど、私が気に入ってるのは世界にただひとつの「これ」で、絶対に離したくない、という気持ちがあった。
だけど、時代は流れて2018年、思い出はクラウドで共有できるようになった。
モノを所有することより、「ミニマリスト」と呼ばれるモノを出来るだけ所有しない生活が注目されているし、断捨離が活発にメディアで取り上げられるようになってからずいぶん経つ。
この前、断捨離をした。家の中にある、引っ越し以来開封していない段ボールをまるごと捨てたり、着ない服を捨てたり。
断捨離をあらかた終えて、モノに預けていた自分の一部である愛情を、自分の心に戻す作業が断捨離なのかな、と思った。
自分の一部とちゃんと向き合って、お礼をいって、自分の一部を自分のなかに戻す作業。
もちろん痛みは伴うけれど、「あの頃の自分」と決別して、これからの自分を前に進めるための燃料にするための作業。
似合わなくなってしまった服や靴、あの頃とてもすきだったアクセサリーに、思い出の詰まったいろいろ。
断捨離は、ものに執着することであの頃の自分に執着して前を向けなくなっていた、過去のわたしとの対話だった。
いつでも「身軽になりたい」と思っていたのに、一番の重荷になっていたのは私自身だったことにようやく気付けた。
私自身の価値観が、わたしを過去に縛り付けようとしていたんだな、と、やっと分かった。
モノに囲まれているのは、確かに安心する。だけど、ずっと「過去の私」に囲まれていたって、わたしはいつまでたっても何者にもなれないし、何者でもないし、私以外の他者にはなれないのだ。
社会生活のなかで与えられた役割を一生懸命こなしても、そこから滲み出てしまうものが個性になりうるものだし、そこからしか個性は生まれないし、わたしたちは生まれながらにして私にしかなれないんだな、と、感じた。
似合わなくなってしまった靴、昔の思い出も全部背負って、
ちゃんと自分の人生自分で責任を持とう、と、腹を括った出来事でした。