バナナはおやつ

しがないOLの人生とその先について。

恋バナの話

わたしの周りには、性的少数者と呼ばれる友人がたくさんいる。かくいうわたしもバイセクシュアルと呼ばれる性的少数者なのだと思う。多分。

そんな人達に囲まれていると、とても気を遣う話題がある。

それは恋とか愛の話。恋バナとかいうやつ。


私は、人の恋愛の話を聞くのが好きだ。好きとか嫌いとかそんな話を通して、楽しそうにする友人を見るのがとても好きなのだ。

ここ数年、異性と生まれて初めて付き合ってみて感じたことがある。「思ったことはそのまま言えねえな」、ということ。


わたしは性的少数者でありながら、今はマジョリティ側の人間になってしまった。
いくら昔同性と付き合っていたからって、「わかるよ」などと言えなくなってしまった。そもそも立場も歳も抱えてるものだって全然違うのに何が恋バナだよ…とまで思うようになってしまった。

たとえば、誰かの「結婚」とか、「こども」とか。噂話のレベルでも話題にするのを戸惑う。

「結婚」やその他が、もし私の身に起きたらどうだろうか。
一番に報告したい人達なのに、そのまま、ありのままの気持ちを伝える前に受け取り方を考えてしまう。

傷つけたくない余りに言葉を選んで、なにも言えなくなってしまう。


自分自身、以前はそういう話題になると社会から疎外されている気がしていた。わたしたちがわたしたちでいるだけだと社会から認められないんだ、なかったことにされるんだ、と思っていた。

今思えば認知が歪んでいると思うが、10年前、思春期真っ只中のわたしはそう考えるのが精一杯だった。

そんな気持ちになってしまった過去がある分、友人に同じ思いはさせたくないし、気も遣わせたくない。


同棲の重さも違うし、結婚の重さも違う。子供をもつことの大変さも、世間の目に両親の目に親戚の目。何もかも違うのを体験してきたからこそ迂闊なことは言いたくないし、大切な人たちに悲しい思いをしてほしくない。

女の子と付き合ってきたからこそ気になってしまうし、周りの多様性を意識すればするほど当事者との溝が浮き彫りになってしまう気がする私の至らなさが悲しい。

考えすぎかもしれない。だけど、この問題はわたしが一生付き合っていかなければならないものだと思っている。

今のわたしは関わった全ての人で出来ているし、なかったことになんて絶対にしたくないからこそ、ちゃんと折り合いをつけなくちゃいけない。


私の過去の恋愛を知っていて、今の恋人のことを知っている友人に、「(異性と付き合えて)良かったね、安心した。」と言われてひどくモヤモヤしたことがある。

「そんなつもりじゃなかった」などといくら言われても、それは免罪符にはならない。ならないのだ。
モヤモヤは一生残るし、不信感だって拭えない。
口から出た言葉はなかったことにはできない。何があっても。

「言葉は力を持つ」なんてこと、生まれてこの方何千回何万回と感じてきた。

だからこそ、怖いから、傷つけたくないから口をつぐむのは絶対に違う。



多様性多様性などと盛んに言われている昨今、自分と異なるものを受け入れられない気持ちを抱くことが罪のような印象を受ける。


よくこの問題で、議論がすり変わっているのを見かけるが、根本的な原因はここにあるんじゃないかと思っている。

「自分がそう思っている」ことを認めたくなかったり、認められない自身のプライドが邪魔をするのだ。
「社会的な生き物」であろうとすればするほど、感情でなく社会常識で物事を推し量ろうとしてしまう。



多様性云々言う前に、「感情を抱くこと」は罪ではなく、寧ろスタートであることを意識して、自分の気持ちに素直にならなきゃいけない。

思ってしまうことは罪ではないのでそれを受け入れたうえで、考えることをやめたくないなあと思います。

自由と責任の話

一昨日、とあるプロダクトの撮影をして貰ってきた。
とても楽しかったし、わたしの人生はここから動くんじゃないかとわくわくしている。


遡ること3ヶ月ほど前。
わたしは泣きながら、noteにELLEGARDEN復活のエントリを書いた。自分の中の全部を、後から読み返す自分のために整理整頓してインターネットの海に投げた。

そしたらその文章を目に留めてくれて、声を掛けてくれた編集の方がいた。わたしのターニングポイントはそこにあったのだと思う。


「誰かに趣味でやっていることを肯定してもらう」体験と、「思いがけず誉めてもらう」体験と、「インターネットでよく見るひとと話す」体験を、いきなり周囲に与えてもらった。

しがないOLの、ほんとうに趣味で吐き出した魂の叫びに、前から「すごいな」と思っていた人から反応がもらえたのだ。別世界に住んでいるんだろうな、と思っていた、憧れの人に声を掛けてもらえた。


これはご褒美だと思った。
だから、そのきっかけをどうしても何があっても逃したくなかった。
インターネットでよく見かける、まっすぐ頑張って悩んだりしながらきらきら生きている、ちゃんと自分の人生に向き合っている大人にわたしもなりたかった。



以前、もう全てが嫌になったときに、家族にこの先の将来の相談をしたことがある。「なんで働くの、わたしに教えて」と泣きながら父に問い掛けた。

あの頃のわたしは、なんで働かなくちゃいけないのか、もう全然わからなかった。突然異動になって、毎朝5時に起きて満員電車に乗って会社に行かなきゃいけないこととか、駅から20分砂利道を歩くからヒールの高いお気に入りの靴じゃなくて運動靴で通っていることとか、毎日作業着を着なくちゃならなくなったこととか、全てが嫌だった。ホラーテイストの悪夢を毎晩見ていた。もう限界だったんだと思う。ちゃんとした社会人をしている父にそれらをぶつけてしまった。

父は「働かなかったら食べ物が食べられなくて死ぬ」とか、この世の摂理を教えてくれた気がするが、もうそんな話は聞いちゃいなかったし、なにより忘れてしまった。対話であって対話でなくなっていたな、と今になって反省している。

からしたらこの上なく厄介な娘だったことだろう。申し訳ないことをしたな、ととても思う。



わたしは、いくつになっても、所謂普通の大人になるために考えなくてもいいことも、考えることを辞められなかった。世の中のホンネとタテマエに、社会に出たって目の当たりにしたって、全然納得できなかった。

太陽が西から昇ったって、明日世界が滅びるらしくても、ただただ嫌なことを耐えて働きたくなかった。


それからの1年くらい、わたしのなかで、働きたくなきゃ働かなきゃいいじゃん→働きたくなかったら雇う側になればいいのかな?→私には何も出来ないしなあ、の堂々巡りがずっと行われていた。

転職もした。でも答えは見つからなかった。


そして3か月前、その堂々巡りに終わりが来た。
それがあの出来事。

あれを与えてもらったから、「やってみる」ことにした。とにかく、なんでもいいから、やってみることにした。



元々、インターネット生まれインターネット育ちなので、「半年ROMれ」と「ハンドルネーム」、「アニメアイコン」でインターネットの海を泳いできた。

実名公開は勿論、顔面を出すなんてもってのほか。
だから、写真を撮られることにはとても抵抗があった。

だけど、もう私には意地もプライドも何もなかった。守る面子も、守りたいものも何もない。今はただ後悔のないように生きたい、そう思う。やってみて、ダメなら辞めればいいし、続けたかったら続ければいい。フラットな気持ちでそう思えるようになった。



大学生の頃のわたしは、みんなでふざけて撮る写真にもうまく写れなかった。
自分の外見がみんなより酷く劣っている気がしてうまく笑えなかったし、出来上がったものを見ても楽しそうじゃなかった。写真に写ったわたしも、写真を見るわたしも、全然楽しくなかった。

だけど、最近のわたしはどの写真を見ても楽しそうに写っている。

写真の中のわたしが特別写りがいいわけではない。半目だったりフェイスラインがまんまるだったりする。それはそれはコンプレックス丸出しな写真だけれど、写真を見返すときもとても楽しくて、何度も何度も見返して幸せな気持ちになっている。

そして一昨日、撮られているときにとても楽しかった。撮られるたびに、知らず知らずのうちに自分の外を固めてきた厚い厚い殻が溶けていく感覚があった。


この変化を感じられたのは、ひとえに周りの人のおかげ。

ここ半年ほどで、自分を曝け出すようになった。そしたら、少しずつだけど、「それでいいじゃん」と言ってくれる人達に囲まれつつある。


それに伴って、高校時代から固定メンバーだった「仲のいい人達」が大幅に入れ替わっている。

最初はとても戸惑った。本当にこれでいいのか、あの頃を捨てるのか、と、高校生のわたしが力一杯叫んでいた。だけどもう、あの頃には戻れないのだ。何があったって前に進むしかない。ムカつくやつはムカつくし、距離が欲しけりゃ取ればいい。仲良くしたいひとと仲良くする。そんな簡単なことに今さら気付いた。

何があったって、わたしたちは自分の人生を生きるしかない。


わたしはきっと、「みんなの笑顔が好き」なのだ。ムードメーカーになれない器なのは分かっている。だけど、大切な人たちが笑ってくれたり楽しそうにしていてくれるならそれでいい。今周りにいてくれるみんなに、そのことに気付かせてもらった。



思えば父に向かって「なんで働かなきゃいけないの」と喚いたあの日から、何度も何度も同じことを思って、何度も何度も諦めて、ようやく、やっと、動くことができた。とてもとても遠い道のりだったし、迷って悩んだ。さらには遠回りもした気がする。だけど今日、殻にヒビを入れられた。

これは、外側からみたらとても小さな亀裂かもしれない。だけど、それでも、わたしにもできたのだ。
遅いとか早いとか、あの子はどうだとか、周りは一切関係ない。これは私と私の戦い。



わたしは自由なのだ。何をしても、どこに行っても、全部自己責任で成し遂げられる。


会社を辞めて、自由な時間を使って散々考えて、その結果が今出た。

一歩踏み出してしまえば、きっともうなんとかなるし、なんとかするしかない。 もう一歩踏み出して自由になる感覚を体験してしまったから、わたしは戻れないと思う。

きっとこれからも3歩進んで2歩下がるんだろうけど、それでも、自分の人生を生きていきたいと思う。

帰る場所の話

つい考えることをしないわたしになりたい、と、何度も何度も思ってきた。
また思っている。

 

一年以上ぶりに、地元に帰った。
久しぶりの実家は、記憶にある実家よりものが減っていた。
思い過ごしかもしれないけど、わたしが見ていた風景から少しずつ変わっていく景色に、寂しさと日常を感じてしまった。

 

わたしが毎日生きているように家族も毎日それぞれの人生を生きていて、生きていれば死ぬんだな、とも思った。

 

髪のボリュームが減った祖母に、以前より痩せた祖父。シワが増えた母と、小さく見える父の背中。

 

この人たちの愛に比べたら、わたしのやりたいことや考えていることなんて吹いたら飛ぶくらいちっぽけなもので、今の日常と比べてみたら、もう、何が大切なのかよくわからなくなった。

 

意地を張って、気を張って、わたしはなんで一人で生きているんだろう。この大好きな人たちに、あとどのくらい会えるんだろう。

 

 

なにも考えずに毎日ちゃんと働けていたら、こんなに後ろめたさや罪悪感は感じなかったのかな。
ちゃんと働きたかった。安心させてあげたかった。
不安そうな顔じゃなくて、喜ぶ顔がたくさん見たかった。

 

実家は「帰る場所」ではあるけれど、「居場所」じゃないのは重々分かっている。

 

もう、ほんとに、やだなあ。わたしに見える現実は、今目の前にあるひとつしかないのに。
やだやだ。

名前の話

 

わたしは、物に名前をつける習慣があった。

たぶんどこかのだれかに影響を受けた習慣なのだろうとは思うけど、そのどこかのだれかが誰だったのか、よく思い出せない。

 

「なんとなくかわいい女子に見られたい」と、「あまりにもわざとらしいのは嫌」という心理が働いた結果かな、と思っている。

 

いまになってみれば、何者にもなれなかったわたしが自分の持ち物に名前をつけて居場所を与える、って滑稽だな、と思う。

 

きっとあの頃は何者かになれると思っていた。

 

 

 

その昔、自分の所有物に名付けるときに、同じものは数あれど、私が気に入ってるのは世界にただひとつの「これ」で、絶対に離したくない、という気持ちがあった。

 

だけど、時代は流れて2018年、思い出はクラウドで共有できるようになった。

 

モノを所有することより、「ミニマリスト」と呼ばれるモノを出来るだけ所有しない生活が注目されているし、断捨離が活発にメディアで取り上げられるようになってからずいぶん経つ。

 

 

この前、断捨離をした。家の中にある、引っ越し以来開封していない段ボールをまるごと捨てたり、着ない服を捨てたり。

 

断捨離をあらかた終えて、モノに預けていた自分の一部である愛情を、自分の心に戻す作業が断捨離なのかな、と思った。

 

自分の一部とちゃんと向き合って、お礼をいって、自分の一部を自分のなかに戻す作業。

 

もちろん痛みは伴うけれど、「あの頃の自分」と決別して、これからの自分を前に進めるための燃料にするための作業。

 

似合わなくなってしまった服や靴、あの頃とてもすきだったアクセサリーに、思い出の詰まったいろいろ。

 

断捨離は、ものに執着することであの頃の自分に執着して前を向けなくなっていた、過去のわたしとの対話だった。

 

いつでも「身軽になりたい」と思っていたのに、一番の重荷になっていたのは私自身だったことにようやく気付けた。

 

私自身の価値観が、わたしを過去に縛り付けようとしていたんだな、と、やっと分かった。

 

 

モノに囲まれているのは、確かに安心する。だけど、ずっと「過去の私」に囲まれていたって、わたしはいつまでたっても何者にもなれないし、何者でもないし、私以外の他者にはなれないのだ。

 

社会生活のなかで与えられた役割を一生懸命こなしても、そこから滲み出てしまうものが個性になりうるものだし、そこからしか個性は生まれないし、わたしたちは生まれながらにして私にしかなれないんだな、と、感じた。

 

 

 

似合わなくなってしまった靴、昔の思い出も全部背負って、

ちゃんと自分の人生自分で責任を持とう、と、腹を括った出来事でした。

 

昔からの友人と未来の話

今日は久しぶりに美容院にいった。髪を切って、ちゃんと染めて、パーマネントをかけた。パーマネントをかける、という表現があっているかは分からないけど、生まれて初めてパーマネントをかけた。

くるくるでふわふわになった。わたしの朝の努力はお金を出せば買えるんだなと思ってしまったけど、それはそれ、これはこれ。初体験だった。すごい。

 

自分にお金をかけた分、自己肯定感は高まる。だけど時間をかけてもその分自己肯定感は高まるから、どっちがいいのかな、と思った。かわいいならどっちでもいいや、と思ったけど、お金で買ったパーマネントが取れてきたときに悲しくなってしまうから時間の勝ちかもしれない。いつだって自己肯定や自信には時間がかかるのかもしれない。

 

そのあと、友人と待ち合わせをして焼き肉を食べた。好きなだけ食べてから、ケーキを食べるために喫茶店に移動した。ケーキを食べてコーヒーを飲んだ。

それから少しボードゲームを広げて遊んだ。最初は不思議そうな顔をしていた友人の顔が、イライラしたり喜んだりしていた。そういう顔が見たかったからとても満足した。勝負はいつだって相手のいろんな顔が見れるから好き。普通に話してるだけじゃ見れない顔がたくさん見れるから、みんなボードゲームを本気でやったらいいのに、と常々思う。

 

そこから、昔話に花が咲いた。中学の話や高校の話、いまの恋愛の話。二人の間に山ほどエピソードがあって掘っても掘っても出てきた。お腹が捩れるくらい笑った。人生の半分以上トモダチでいてくれることが感慨深くて、我ながらいい関係だなあとおもった。

 

帰り道は寂しかったから、音楽のボリュームを何時もより上げて歩いた。ちょっとだけ冷たい風が気持ちよくて、だらだら歩いた。

 

お風呂からでて、フローリングにマットをひいて、ごろごろ転がりながらこれを書いている。

 

 

もう寝なきゃいけないけど、今日は人生の中でとっても大切な日だった気がするから、寝たくない気がする。

 

ほんとうに他愛のない日だったんだけど、大好きな人と会える幸せってこういうことかなって思ったし、やっぱりわたしは人と会うのが好きだ。人が好きだ。

 

 

例えば、予想もつかない出来事があって、なにも信じられなくなったって、 「いままでの自分に、いまの自分が救われることがある」ことを信じられる、そんな日でした。忘れたくないなあ。

大人と子供の話

 

大人になる、ってなんなんだろうなあ、と、考えることが増えた。

 

つい最近まで、就職活動をしながらニートをしていた。2社目の転職もうまくいかず、短期間で辞めてしまって、何をする気も起きずにご飯を食べて寝て起きていた。

 

ほんとうに毎日死にたくて、あれもこれもつまらなくて、でもほんとうに楽しい毎日だった。やらなきゃいけないことがなにもなくて、起きる時間も寝る時間も自由自在。昼間のドラマの再放送もみられる。深夜アニメだって海外ドラマだって見放題。元々なにもなければ家から出るのもいやなので、そんなわたしにはさいこうの毎日だった。もうほんとうに最高。楽しかった。

 

 

このまえ、恋人が有給をとってわたしのおうちで一日ごろごろしていた。わたしは朝会社にいったのだけれど、恋人に駅まで見送ってもらって、そこでばいばいした。帰り、恋人が駅まで迎えに来てくれた。駅からの帰り道、「今日は一日無駄にしたって感じがする。」と溢していたのが気になった。

 

よくよく話を聞いてみれば、「特にやることがなくてごろごろする休日は持て余してしまうし罪悪感がすごい」とのこと。

 

わたしは、この話を聞いて心底驚いたし勿体無いと思った。休みくらいすきに生きたら良いのに。

きっとこの人はちゃんとした人なんだな、と思った。労働をしてお金を稼ぐ意思があって、毎日こつこつ、とか、そういうことができるのかすごいな。と思った。

休みは休むためにあるんだから存分にごろごろすれば良いし、そんなの働くために生きているみたいだし、ほかにやりたいこととか、なにか……こう、人生の目標とか、日向ぼっことか、働くことよりも他のことに興味があるわたしの人生とは全然違う景色が見えるのかなあと思った。 

 

わたしが働き始めていたから、「心境の変化は?」などと聞かれたのだけれど、わたしは昼間の刑事ドラマの再放送が見れなくなったことが悲しいし、朝同じ時間に起きなきゃいけないことにストレスとプレッシャーを感じる。今はまだ自覚症状がないけれど、相当疲弊していると思う。と伝えた。

 

正直、わたしはわたしだし、覚悟していたよりもずっとみんなが優しく接してくれるから、拍子抜け、くらいの感覚でいるのだけど、そういうことは求められていないんだろうな、と思って口をつぐんでしまった。

 

働きはじめたって、心境の変化なんて何もない。働きたくない、としか思わない。だけど、使役され労働をすることが、分かりやすく手っ取り早くお金を稼ぐための手段であることは間違いない。だから、わたしは働く。

なんだけど、どうしても働きたくなかったり働けなかったり、働きたくなさが爆発することもあるし、その面では子供だなあと我ながら思う。

 

 

根本から行くと、こどもからおとなになってもなにも変わっていない。考えすぎる癖は抜けないし、何故を追求してしまうのも変わらない。だけど、自分で自分の機嫌を取れるのが大人になることなのかな、と最近は思う。

 

自分で自分のためにケーキが買えるし、美味しいものが食べられる。ヨガに通ったり、ふらっと新幹線や飛行機で遠出もできる。なぜなら我々は大人だから。

20年間生きてきたご褒美として、自己責任の名の下に自由が約束される。お金を稼ぐのもよし、お金を使うのもよし。借りることだってできちゃう。お酒も煙草もパチンコもできちゃう。こんなにたくさんある娯楽から好きなものが選べて、自由に謳歌できるようになる。

 

小さい頃、わたしの周りに、楽しそうに人生を謳歌している大人はいなかった。電車通学中に見かけるのは、暗い顔で満員電車に乗るサラリーマンと、疲れた顔したお姉さん。わたしは、大人になるのがひどく怖かった。

今になって、大人になって自分の好きなことができるところは悪くないな、とおもっている。

 

わたしは、小さい頃から「大きい会社でちゃんと正社員で働くこと」と「結婚して普通の家庭を持つこと」が「ちゃんとした大人になること」だと思ってきた。両親に言われてきたし、ことあるごとに期待されてきた。

 

「結婚して普通の家庭を持つこと」は早々に無理だと悟ったから、「大きい会社でちゃんと正社員で働くこと」は人一倍ちゃんとしようと思っていた。

 だけど、なんだかもうほんとに全部ぶち破りたくてむずむずするし、なんだかどうしたものかよくわからなくなっている。

自分で自分の殻を破るのが一番難しいな、とほんとうに思う。

友情と愛情の話

 

わたしには大学時代、暇さえあれば一緒に過ごしていた同じ大学の友人がいた。

 

元々彼女の友人で、そこからなぜか意気投合して二人でよく一緒にいるようになった。

学部が違ったにも関わらず、毎日飽きずに待ち合わせをして、カフェでお茶をして。今日のあったこととかやりたいこととかバイトの話とか、 将来の話とか。すごくたくさんのことを話したし、たくさんの時間を共有した。一週間と少し、二人で旅に出たり、知らない街に出掛けてみたり。彼女には話せないことをこっそり話したりもした。

 

その時の私のすべてを全部知っていたのはその友人だったし、友人のことを一番知っているのは私という自負もあった。「友達以上恋人未満」だったし、「悪友」だった。「相棒」で「戦友」だった。

 

大学を卒業してわたしが遠い場所で独り暮らしをはじめても、友情は続いた。旅行に行ったり、会って話す頻度は減ってはいたけど、この友情はずっと続くと思っていた。

だけど、そんなことなかった。

 

 

当時私には、高校生の頃から付き合っていた彼女がいた。若さゆえの不安定さを残しながら、周りにも恵まれて、高校と大学の思い出の全部が愛しの彼女(と平日の授業後はその友人)との思い出だった。そのくらい一緒にいたし、もちろんこれからもずっと一緒にいるつもりだった。

 

だけど遠距離になって、彼女と会える頻度が減って、そこに様々な理由が重なってお別れしてしまった。

そしてわたしはその直後、いまの恋人と出会って、お付き合いを始めた。今の恋人と付き合い始めたタイミングで例の友人と会う機会があった。

 

友人は、大学を卒業してから「婚約者が」とか、「~で声をかけられた男が」とか言うようになっていた。だが友人も(今は分からないが当時は)レズビアンを自認していたので、どう考えても、「好意を向けられることに喜んで相手の気持ちを踏みにじって弄んでいる」だけだった。

自己評価が極端に低い女だったので承認欲求を男に求めてるんだな、可哀想だな、程度にしか思っていなかったが、友人のことを思って注意してやれるほど善人でもなかった。わたしは「悪友」ではあったけど、友人の「家族」ではなかったし、「恋人」でもなかったから、自分で気付かないと意味がないんじゃない?と、一歩引いたところで話を聞いていた。 

だけど、そんなクソほどどうでもいい話を聞いていたら辟易する。

 

友人とご飯を食べながら、我慢の糸が切れたように故意に口を滑らせて恋人ができたことを友人に報告していた。

 

あの時の友人の表情はいまでも忘れられない。狐につままれたような表情をしながら、目から大粒の涙をポタポタ溢していたし、困惑していた。わたしも困惑した。

宥めても涙は止まらず、わたしも慌ててしまった。だけど見守るしか方法がなかったわたしは、端から見たら「友達を泣かした女」だったろうし、「間抜けな女」だったとおもう。

友人は混乱しながらその場で「裏切られた気がする」「仲間だと思ってたのに」と、絞り出すように教えてくれた。

 

その後、帰路につく友人を見送って、SNSで謝ったけれど、「こちらこそごめんね」という一言を最後に、こちらから連絡が取れなくなった。

 

 

当時、女の子がすきだったし、女の子しか好きになれないと思っていた。だから自分でも混乱していたし、私の人生最大の裏切りを許して貰いたかったんだと思う。今になって思えば、友人に甘えていた。いつもみたいに笑い飛ばすか、適当に流してくれると思っていた。 

だけどそんなのはこっちの都合で、そんなにうまくはいかなかった。泣かせてしまった。落胆させてしまった。

本人曰く、「推していたアイドルに裏切られてショックだった」と、共通の友人に内情を聞かれた際に例えて話しているようだった。

 

あのときの友人にもう一回会えたら何をどう話すのが正解なのか、未だに分からない。だけど、あの時の涙と友人の言葉が頭から離れないし、ふと思い出してしまう。

 

当時の恋人と別れた理由は1つではないし、2人の間の違和感を完全に他人に説明することは不可能に近い。だけどその努力をすべきだったのかなと今になって思う。

今の恋人と付き合っている理由も、ちゃんと話せばよかった。だけど、当時のわたしには、性別という大きすぎる、大抵の人が越えることのできない壁を体当たりで破壊して侵入しきた今の恋人について、ちゃんと言葉にする程の整理がついていなかった。今だったら当時より伝えられることは多いのかな、と思う。

 

 

 

なぜこんな昔話を唐突に始めたのかというと、昔の恋人が例の友人と久しぶりに会った行ったらしく、その時に私のことを聞かれたらしい。その他にも、同じように共通の友人から連絡があって、近況報告と共に「例の友人が気にしてたよ」と教えて貰ったからに他ならない。私自身も、ずっと引っ掛かっていた。

 

いま考えると、わたしは友人に依存されていたのではないかと思う。「悪友」とか「戦友」とか思っていたのはわたし一人だったのかもしれない。友人からすれば、わたしの「異性の恋人ができました宣言」で世界が終わったように感じたのかもしれない。今になっては何も分からない。

 

例の事件から年単位で時間が経っているので、あの頃よりもお互い大人になっていると思うし、大学時代の楽しかった思い出に嘘はひとつもない。あの頃はすべてが楽しかったし、それは全部友人がいてくれたからに他ならない。本当はもう一回仲良くなれたらいいのに、と思っている。あの頃みたいに一緒にベランダから朝日をみれたらいいのに、と思っている。

 

 

友情も愛情も、継続する努力とタイミングで全部雪崩のように崩れてしまうんだな、と、ここ一年くらいで痛感した。再構築するのもタイミングがとても重要だから、きっといま連絡しなければ生涯連絡を取ることはないのかな、と思うことも多々ある。今回のように。

友情と愛情の見分けもわたしにははっきり分からないのに、人間関係は選ばなきゃいけないし、私にはどうすることもできないことが世の中には山ほどある。だから両腕が届く範囲はせめて幸せであって欲しいし、私も一緒に世界一幸せになりたい。