バナナはおやつ

しがないOLの人生とその先について。

はじめのいっぽの話

 

転職とはなんぞや。考えても埒が明かなかった。

 

むしゃくしゃした気持ちのまま、藁にもすがる思いでもう一回転職サイトに登録した。アー私が悪かったですごめんなさいから入ろう……。と思いながら頂いた電話に出ると、なんと違う人。部署移動されてしまったそうで。

 

テンプレートに乗っ取って、話はさくさくすすんでいく。転職理由から、どんな業界でどんなことをしてきたか、とか、一時間くらい話したり聞いたりした。

 

前回相談した時は転職自体止められた経緯もあり、それ以来働くことについて考えるようになっていた私は、今日は随分と饒舌に話すことができた。ヤッタネ。

 

 

そのなかでまず、転職とは、今あるものを捨てて新しいものを取りに行くことだ、と教えてもらった。

 

ほう、なるほど。こんな序盤に転職とはなんぞや、の答えが降ってきた。

  

そのあと、現職の現状やこうしたいと思っていること、中途半端な自己分析の類いの諸々を含めた、わたしの伝えたいことを伝えた。

その上で今抱えているやるせなさや消化不良を、言葉のキャッチボールのなかでスッキリ飲み込める形にしてもらえた。さすがプロだった。とても有り難かった。

 

就活とは違って、転職は今出来ることが重視されること、 自分が何がしたいのかが一番大事で、それを達成するために何を優先して何を犠牲にするのか決めること。など。

……分かっちゃいたけど理屈っぽいわたしもプロに説得されて納得。つまり、やりたいことや優先順位をまず決めろ、と。

 

盛り沢山な一時間だったわけだが、本日の一番の収穫は、なんだ私はやりがいを求めているのか、とかわらっちゃうくらい単純なことに気づいていなかったことに自分で気付いたことでした。

自覚はあったんだけど、それを認めたくなかった。

 

全部取っ払うと見えてくるものがあるんだね。吹っ切れた気がする。

 

わたしにとっては、やりがいとか達成感とか、そんなちっぽけなものが何よりのご褒美である。「3年は我慢しろ」とか、「これだからゆとりは」とか、周囲の雑音を一切シャットアウトして、新しい環境に飛び込むことを前向きに考える時間は、私にとって悪くないんじゃないかと思えるようになった。

 

ありがとうKさん。明日もよろしくお願いします。

 

これからの話

 

通勤時間というものは、果たして人生の無駄であるのか。私は無駄だと思う。ある程度以上は猛烈に無駄。そんな私が片道2時間かかる今の職場まで毎日通っているのには、理由がある。

 

引っ越すお金がないからだよ!!!!!

 

現在私は寮に住んでいる。家賃も安くて家具もついていて、初期費用なんて一切かからなかった。だから出ていくならお金がかかるのだ。白物家電やベッドその他云々、部屋のクリーニング代に新しい住居の敷金礼金どうのこうの。目眩がする。

 

入社したとき、ずっと本社勤務だという話だった。なので安心して寮に住みながら金のかかるもろもろの趣味に入れ込みつつ貯蓄型保険や定期預金、さらにはガン保険までに加入し、何かあったときに少しでも自分(や周り)が楽になるように、出来るだけ貯蓄ができるように、と行動してきたつもりだった。そこで降り掛かる突然の勤務地変更。今手元に金はない。全てが仇となった。モウヤダ。

 

さすがに独り暮らしながら通勤に二時間も掛けているとそもそもなんのために働いているのかもうよくわからない。生活のためといったらそれまでだけど、守る家庭もプライドもないわたしには片道二時間と独り暮らしはハードルが高い。

 

しかし実家には帰りたくない、そして金のない私にとって、今現在ここに住み続ける以外の選択肢はないのだ。無責任な転職エージェントの人には転職自体止められるし、人を頼るなという神からのお告げか何かか?

 

 

私のアイデンティティの一番奥で寝転がっているのはレズビアンであるという自意識である。故に、結婚や出産など、そういうライフイベントとは無縁な人生を送ると思っていた。その分老後のための蓄えをしなくちゃいけないな、とか、安定して働けるように手に職をつけないと、とか、思うところはいろいろあって、人生の分岐点でそれを元にして道を選んできた。その結果が今の私である。

 

しかし今の恋人と知り合って、それが根底から覆った。お陰で私史上最高に自分がよくわからない。人生最大のピンチかもしれない。

 

もうキャリアなんてくそくらえだ。私の人生は私が決める。やりたいことを思う存分やって死んでやることを心に決めた。

 

カムアウトの話

 

今の恋人は、私の過去について知りたがる節がある。何度かははぐらかしたが、しつこく聞かれた時になんとなく言い出せなくて、異性に置き換えて話してしまった。アレがいけなかったなあと今になってぼんやり思う。

 

今の恋人にとって、性的少数者は「テレビの中の存在」なように思う。言葉は勿論知っているし、否定もしないし気持ち悪がることもしないけれど、見えないところでやってくれ、という感じ。あくまで彼が選ぶ言葉から感じた感想でしかないのだが。

一度、テレビの中の彼らについて恋人と話題にしたことがある。その時に言われた、「男が女を、女を男が求めるのは本能でしょ」という言葉が、今も頭から離れない。どちらかというとパリピに分類される彼から発せられたその言葉は、それ以降カミングアウトへの大きな壁になった。

彼が発した言葉に対して、ああ、これがごく一般的な感覚なんだな、とただそう思った。

 

最初は、絶対に言わないつもりだった。理由は、相手にメリットがないから。私からすれば勿論、すっきりするという至極個人的な心理はある。しかし、異性の恋人がいる以上同時に同性の恋人を作るつもりはないし、言う必要はないと思っていた。だが、恋人に「全部を知りたい」などと言われたら、そりゃ、もちろん引っ掛かる。

 

一人で悩んでいても埒が明かないと思った私は、私が同性愛者であったことや現在付き合っている人がいてその人が異性であることとか、そういうことも含めて洗いざらい話せる友人数人に相談することにした。

案の定、「カミングアウトはやめておけ」と口を揃えて言われた。

そりゃそうだ。いらぬ波風は立てない方がいい。と納得したが、でも、やっぱり隠し事はしたくない。隠し事をした事実は残るからだ。だが、私の目を見て、真っ直ぐに「言えないことなんてひとつもない」などと宣うこの人に、刺激が強すぎるんじゃないか。心配性の恋人に、要らぬ心配をかけさせる必要はないんじゃないか。と悶々として早10ヶ月。

 

10ヶ月の間に、わたしも何度か言い出そうとした。が、なんとなく、が積もって、言えなかった。今後カムアウトするかはまだ決めかねている。

 

今、私は実は両性愛者だったんだなとぼんやり思っている。同性愛者であると思って生きてきた私にとっては少々ショッキングなニュースであったが、たぶん人生にはそんなことがいくつかあるんだと思う。

 

私は、今まで付き合ってきた同性の恋人がいなければ今の私はいないと思っている。ものの考え方や好きなものや、食べ物や、映画、本、ファッション。挙げればきりがない。人生においてたくさん影響を受けたし、そりゃあ楽しいことばかりではなかったけど、どれもこれも大事だ。

 

だけど自分の中の大事にしたいそれを、受け取り方が違う他人にさらけ出すのも違う気がしている。私の語彙力で理詰めの恋人を説得できればいいんだけど。困ったな。

告白されて動揺した話

 

わたしには、異性の恋人がいる。

ひとつ年上の、職場で知り合った人だ。何度か二人で出掛けた後交際を始めた。

 

本当は、全く、そんなつもりはなかったのだ。だが、話していると楽しくて、仲良くなりたい気持ちが強くて、そういう関係に落ち着いた。

 

私は、昔から、というか以前はレズビアンだった。LGBTのLの部分だ。性自認が女で、女の人しか好きになれない(と思っていた)からだ。

だから今の人に告白されて、正直混乱した。異性である感じがしなかったのは確かだったが、恋愛対象ではなかったからだ。ただただ、「仲のいい同性の友達に告白された」感じ。最初は、断ろうと思った。しかし、(私にとっては同性のような距離感でいられる)友人を失いたくない気持ちが勝ってしまったのだ。

 

以前にも、異性である感じがしない友人がいたことがある。今は疎遠になってしまったが、とても気が合って一緒にいると楽しかった。疎遠になったきっかけのひとつは、私のことを相手が「異性として見ている」ことに気づいてしまったから。勿論会うタイミングだとか、そういう要因もある。だが大きなきっかけはこれであったと思っている。

 私は、私自身が異性としてみられていることに気持ち悪さを感じてしまった。

 

気持ち悪さの原因は、はっきりしたことはわからないが、きっと、

①距離感

②好意の表し方

このふたつが大きな原因ではないかと思っている。そしてこの中でも、どちらかといえば①距離感が大事な気がしている。

 

そもそもなぜ今の人と付き合っているのかと考えてもみたが、性別の垣根を乗り越えたきっかけがよくわからない。「私自身が異性として見られていることに嫌悪感を感じた」と先ほど述べたが、それは今の恋人も同じはずである。「向こうからすると恋愛対象であった=異性として見ていた」から告白された訳で、そうなるとつまり私が感じる気持ち悪さ云々を告白に返事をした時点で軽々飛び越えていることになる。

 

今の恋人は、見た目は完全にオスである。中身もオスである。が、 一緒にいると楽しいのだ。一緒に居たいと思う。

 

ここまで考えて、思い当たることがひとつ。私が今の恋人や例の友人を「異性である感じがしない」「同性のような友人」と思ったのは、「話しやすさ」が原因なのでは?

初対面の、これから仲良くなりたいと思っている女友達とするような他愛ない話を、初めて会ったときになんとなく適当に、することができたのだ。この「なんとなく適当に」がとても重要で、女子同士の距離感以上に彼は近付いてこなかった。女子同士の初対面の距離感は、結構遠い。

 

今思うと下心からそうしてくれていたんじゃないかとも思うけれど、それでもやっぱり楽しかった。

彼氏がどうの、とか、女の子は~とか、性別を意識させるようなそんなは話ひとつもなかった。ただただ、何がすきだとか、仕事がどうのとか、そんな話をした。

 

今思えば、話がうまい彼に丸め込まれた気がする。たぶんその通りだ。

 

昔から異性と付き合うことはなくても、セックスすることに嫌悪はなかった。だから、所謂世間のイメージの「レズビアン」のような、男の人に嫌悪感やトラウマがあったわけでない。ただなんとなく、女の人にしか恋愛感情を抱いてこなかったからレズビアンだと思っていた。男の人はみんな高圧的で、話を聞いてくれなくて、力や言葉で支配しようとしてくると思っていた。特にこれといった出来事があるわけではない。きっと距離感が掴めなかったのだ、相手が異性であるというだけで。

 

人間は、女性であろうと男性であろうと、性格の部分に両性を有していて、相手の男性の、「私のイメージする女性性」の部分に惹かれて付き合い始めたのかもしれない。そうなると私は未だにレズビアンなのかな。いや、違うんだけどさ。