誕生日の話
誕生日を迎えた。
昔、学校のセンセイが、「誕生日は自分が生まれたことに感謝する日」「周りにありがとうを伝える日」と言っていたのを、この時期になると毎年思い出す。
わたしは友達でいてくれる人たちが大好きなので、毎年何かしらで感謝を表現したいと思っているのだが、なかなか難しい。感謝を表現する、というと、安直にオススメのお菓子とかちょっとしたコスメとか、そんなものになりがちなんだけれど、今年は、ひとりずつのことを考えて感謝する年にしたいな、とおもいます。
今まで生きてきて、今年の誕生日が一番楽しかった。友達がいるってすごいことだなあと思う。
新しいことに挑戦しながら周りに感謝して、自分の言動に責任を持つ1年にしたいと思います。
コミュニケーションの話
先日、恋人と「君の名は。」を見た。地上波で放送された後の週末に、月額制の配信サイトで見かけ、見るなら今しかないよね、とかなんとか理由をつけて二人で見た。
絶対に一人で見たくなかったから、二人で見た。号泣することが明白だから。私が。
あらすじは、なんというか一言で言えばラブストーリー。CMでこれでもか、と流れていた「私たち、入れ替わってる……?!」ってやつ。
まあ、そんなこんなでちゃんと見ました。最初から最後まで。視聴後、恋人と話していてとても引っ掛かったことがあったので書き記しておく。
ちょっとここで私の青春の話を聞いてほしい。青春とインターネットの話。
わたしは、インターネットが普及し始めた00年代始めに、個人サイトや当時のSNSを駆使して青春を謳歌した。
特定のチャットに入り浸るところから始まり、掲示板で交流し、当時のSNSで相互フォローになったひとの日記に一喜一憂して、個人のブログを追いかけて。インターネットにどっぷり嵌まっていたアラサー世代ならドンピシャで胸にクる記憶なんじゃないかと思う。
それで、全然知らない人のことをなんとなく近くに感じたり、遠くに感じたり。その鬱憤や諸々を元凶であるインターネットに投げ捨てて、また拾ってもらって、そんなことの繰り返しだった。
当時のインターネットは私たちの逃げ場だったし、好奇心と自尊心と虚無感を満たしてくれるものだった。
インターネットに感謝したり、こんなものなかったらよかったのに、とか、いろいろな感情を抱きながらわたしは大人になった。
そして大人になった今、昔はわたしたちの逃げ場だったインターネットは、その役割を終えたように見えるほど、違うものになった気がする。
インターネットにおけるコミュニケーションは身近になった。世間から認知された。逃げ場でも何でもなく、自己顕示欲を満たすために、とか、そんな使われ方をしている。
さて、話を戻す。
恋人が「君の名は。」の視聴後、「なんでこれで恋が生まれるの?あれで好きになるのかなあ?」と言うのだ。
それを聞いて、違和感を感じた。私は劇中で生まれる恋心になんの疑問も抱かなかったからだ。なんの疑問も抱かずにぼろぼろ泣きながら見た。
あの映画は、好きになる理由がちゃんと描かれていたと思う。よくわかった。寧ろ丁寧すぎるのではないかと思うくらいだ。痛いほどの二人の気持ちを感じたし、「ああ、わたしでも好きになっちゃうな、」とか、「これはダメだあ……ダメだよ……」とか、見ながら口から漏れていたかもしれない。
でも、そう感じるのは「経験があるから」に他ならなかった。
それを踏まえて、同じ時代を生きてきてもコミュニケーション方法が違うんだなあと思ったし、恋人と私は完全に別人なのだと再認識した。
昔、恋人と「会話は重要なコミュニケーションか」とかなんとか、そんな話題で意見が食い違ったことがある。相手は、「会話をしないと相手のことが分からないし、会話が一番のコミュニケーション」というものだった。対してわたしは、「会話がなくても同じ空間に居られればそれで」とかそんな具合で平行線を辿り、ついには落としどころもあやふやなまま終わったのだが、その時の違和感の一因もここにあったのだなあと腑に落ちた。
なんだか、この事実に気付いたとき、私は今まで狭い世界のなかで深い付き合いをする相手を選んでいたのだなと強く思った。いやあ、この歳になってそんなこと思い知らされるとは。
あと、「あなたとわたしは別人である」という前提に立てたら、もっといろんな人と仲良くなれるしわかりあえるのでは、とか、そんなことをふわっと思いました。
人間って面白いね。
家族の話
わたしは、家族が苦手だ。
とても、いい人たちなのだと思う。大人になるまでわたしのことを育ててくれたことに感謝しかない。だけど、未だに両親との距離の取り方が分からないで居る。
明確に転機になった出来事は分からないけど、「話を聞いて貰えなかった体験」「過保護な家庭環境」が原因なんじゃないかなあと思う。
わたしの両親は共働きで、祖父母に育ててもらった。実家を出るまで、朝晩とおばあちゃんの手料理を食べて育った。母は、朝ギリギリに起きて自分のことをして出勤。祖父母に起こされていたのも何度か見かけた。父には平日は会えなかった。たまに朝見かけるとか、その程度だった。今になってみれば終電あたりに帰ってきていたのだろうが、当時はそんな時間まで起きていなかったので、「大人になったらこんなに働かなきゃいけないんだなあ、やだなあ」くらいにしか思っていなかった。
小学生の頃からいくつも習い事をやらせてもらっていたので、家にいる時間もそんなに多くなかった。なので日曜日も、あんまり家にいなかった。勿論平日よりは家族といる時間が多かったが、片田舎に住んでいたので庭の手入れとか畑の手入れ、稲刈り、納屋の整理とか、なんだかんだ母に理由をつけられて父はほとんど家に居なかった。居たのかもしれないけど、家でゆっくり一緒に過ごした記憶はあまりない。
例えば、私がお菓子を買って欲しかったとき。
とにかく「だめでしょ」と叱られた。だけど私はそれで納得することもなく、「やだやだやだやだ、絶対欲しい」と駄々をこねた。ずーっと駄々をこねていると、お店の人に迷惑をかける、周りに迷惑をかける、という理由で買ってもらえた。そこにわたしが欲しい理由なんて存在しなかったし、幼い頃から「我が家の常識」は「両親(あるいは家族)の常識」だった。
わたしがそれに疑問を持ち始めたのは、小学生か中学生の頃だった。最初は小さな違和感でしかなかった。「よそはよそ、うちはうち」と小さい頃から呪文のように聞かされてきた私にとっては、「そんなもんなのかなあ」とか、「仕方ないなあ」とか、そんな感想しか持たなかった。
そのまま高校生まで育ち、大学生になり、自分は過保護だったのだと思い知った。
確かにいま考えてみれば、ちょっと変な家だった。中高生の間は、部活をしていたり塾に通っていた。部活が毎日あったが、部活を休んで塾に通っていた。母に言われたし、それが正しいことだと思っていたから、部活より塾を優先した。部活も辛かったからちょうどいいや、くらいに思っていた。
大学生になると朝帰りなんてもってのほか、終電で帰ってもちくちく言われ、夜の9時10時を過ぎても連絡を忘れるようなことがあれば、鬼のような着信履歴が残っていた。当時は特になんとも思わなかった。なぜなら、同じような家庭環境、もしくはもっと過保護な家庭の子と仲良くしていたから。
彼氏は?とか、どんな友達がいるの?とか、事細かに聞かれた。当時、既に彼女がいて、インターネットで知り合ったお姉さんと遊んでいたわたしは全て嘘で塗り固め、適当にはぐらかしていた。嘘をついて隠す気なんてさらさらなかった。嘘であることはバレバレだったとは思うが、共通の知り合いが居るわけでもなかったから、わたしが話さなければ真実がバレる心配なんてひとつもなかった。だからどんどん嘘をついた。絶対に本当のことは言わなかった。
わたしは、家族の常識から外れた人間であるといつからか自分にレッテルを貼り、ここまで生きてきた。いつからだったのかはもう覚えていない。
気付いたら同性愛者だったし、世間にどう言われるかより自分が大切だったし、みんなと違うことがしたかった。
だから、家族に「外面だけはいい」とかさんざん言われてきたけど、それはお前たちにとって好都合なんじゃないの、とか、そういうことを思って生きてきた。
過保護な家庭で育った女の子がいろいろな経験をして成長するドラマを見て、わたしの家は過保護だったんだな、と、とても思った。
全く気づかなかった。ほんとうに、全く。
わたしは、幼い頃母に刃物を向けられた経験を今でも思い出す。わたしに刃物を向けながら母は笑っていた。家族もみんな笑っていた。理由はとっても些細なことで、お風呂に入るとか入らないとかそんな話。わたしに包丁を向けたことを母は覚えていないと思う。
あんなこと些細だと思えば思うほど、頭からこびりついて離れなくなる。
幼い頃から日常的に虐待を受けていたわけでもないし、習い事もさせてもらった。恵まれて育った自覚はある。愛情をかけてもらったんだとおもう。
自分の過去を型に嵌める必要がないことは分かっているし、私が特別だなんて思っていない。どこにでもある、普通のことなんだろうと思っている。
わたしは、家族のあり方を、自分の体験でしか知り得ない。だから、「家族になる」ことがひどく怖い。自分と同じ思いをさせたくないし、させないようにする方法も分からない。
子育てに興味はある。だけど、覚悟とか「幸せにしてやる」っていう強い気持ちとか、そんなのがないと、前向きな「いつか子どもがほしい気持ち」も「子育てをしてみたい気持ち」も表明してはいけない気がするのが息苦しい。
結婚がリアリティを増して私の前に現れたときから、子どもについて考えることも増えた。だけど私の周りには、そんなことを相談できる(ほど信頼できる)友達が見当たらなくて辟易する。ぜんぶ抱えて飛び込まなきゃいけないと思うと、飛び込むのを辞めてしまいたくなる。
子育てとか結婚が、みんながするものじゃなくて、ちゃんと自分の意思で選べるようになった。だから選ばなかった人たちや選べなかった人たちからの声も大きくなって、「なんとなくしてもいいかな」とか、ふわっと思っている人たちが声もなく消えていっているんじゃないか、と思う今日この頃です。
幸せのかたちは人それぞれ、ぜんぶ違うと思うのにね。好きにさせてほしいね。
煙草の話
煙草は悪だろうか。
答えは否、だとわたしは思っている。
わたしは喫煙者だ。体に悪いなど100も承知、昔の彼女が吸っていたのがかっこよくて、なんとなく同じだけ寿命を縮めたくて吸い始めたのがきっかけだった。
わたしの周りは、喫煙者が多い。と思う。勝手にレズビアンとオタクには喫煙者が多いと思っている。あ、割合のはなしだし個人の感想レベルで。だから必然的に周りに喫煙者が多い。気がする。
でも、友達の9割はわたしが煙草を吸うことを知らない。わざわざ言うことでもないし、「体に悪いよ」とか「やめなよ」などの言葉を聞くのが心苦しいからだ。
煙草をやめようと思えばいつでもやめられるのだと思う。現に去年か一昨年あたりに半年とかそれくらい適当に禁煙に成功した。
だけど禁煙する気はない。
その理由として、寿命を全うしなくてもいいのではないか、とか、なんとなく日々思っているから。
長く生きたところで食費に医療費、介護をしてもらわなければ生きていけないとなると生きた分だけお金がかかる。今こうやって生きてるだけで年金に保険に家賃に食費、ってお金がかかるのに、これの何倍かになるんでしょう。おまけに年金は貰えるか分からないときた。長生きしない確率に投資しているのだ。これはきっと。
煙草を一本吸う度に5分30秒寿命が縮まるらしい。
吸い始めたときは、ゆるやかな自殺をしてやろうと思っていた。どうせ長く生きたところでケッコンもできないし、シソンハンエイにも貢献できないし、財産だって大切な人に譲渡できるわけでもなく、最終的に大切な人と居られるような希望も持てなかったからだ。癌家系だし肺癌とかで50くらいに死ねたらなあくらいにしか思っていなかった。
今の恋人と付き合い始めてから、相手に「煙草吸わないで、健康が心配」とかなんとか言われて、そりゃあ心配されたら嬉しいですよ。あれよあれよと流されて、(吸い始めたきっかけも先述した秘めたポリシーも伝えられるわけもなく)、なんとなく禁煙してた。でも、デレ期を抜けて正気に戻ったところで相手に左右されるのもなんか嫌だな、と思い至って今。
なんか、別に吸わない理由がなくなってしまった。吸う理由もクソみたいな程度のものだけれど。
閑話休題。
最近喫煙者ばっかり迫害されてる気がしませんか。喫煙者の皆さん。
迫害っていうか、なに、隔離……?いや、隔離はいいんですけどね。
わたしは外では基本的には吸わないし、嫌がる人の前や非喫煙者の前では吸わないスタンスでいる。その理由は、非喫煙者にとやかく言われたくないから。目の前で吸ってしまうと、別に吸ってようが吸ってまいがアンタに迷惑はかけてないでしょ、って言えなくなるから。副流煙はね、マジでよくないから。体に。
また増税するみたいだし。けどワンコインまでは買うつもりではいるけど、ワンコイン越えても買うかもしんないけど。
お酒が飲めたら煙草に手を出すこともなかったのかもしれない。この前も、うっすーく薄めたお酒を時間かけて飲んだのにそのあと気持ち悪くなった。結果リバースしてしまった。体調よくなかったのかな。
わたしが楽しく酔えないことで、飲める子達の楽しくなってる姿があまり見られないのも悔しい。わたしが体質的にあまり飲めないから、一緒にいる子に気を遣わせたり、「相手が飲まないなら飲まない」っていうスタンスの友達が少なからずいて、それもまた寂しい。私だってお前の酔った姿みたいんですけど。なんで見せてくんないの。って思うんです。
お酒はほんとにずるい。羨ましい。体質だから、こればっかりは自衛しなきゃいけないこともわかるし、仕方ないっちゃ仕方ないんだけどさ。
アレルギーみたいなもんで、自分が飲める分には特になんとも思わないよね。昔小麦アレルギーの子にケーキ食べられなくてかわいそうだなって思ってたの思い出して、アレと一緒だなって。そう思われるのも悔しいね。はあ、ただ悔しい。
だから、煙草くらいは許してくんないかなあ。喫煙所でふらっと話したり、なんとなく一緒の空間にいるの嫌いじゃないんだよねえ。
まあなにが言いたいかっていうと、酒が飲めない分、喫煙所コミュニティに加わりたい、と。そういうお話でした。
何歳で死ぬんだろう、私。長生きはしたくないなあ。きっと、比較的若いうちからからだが耐えきれなくなって、病気と一緒に生きなきゃいけなくなるから。
退職の話
先月末で退職した。
命じられた転勤先に通勤するのが困難だったから、とか、理由はいろいろあるけど、やっぱりなんだかんだやりたいことじゃなかったのはとても大きい。やりたいこと、って一括りに言っても成し遂げたいこととか業務内容とかいろいろあるんだけど、そのうちのひとつ、「若いうちに何かを身に付ける」が達成できそうになかったから、っていうのが大きい。
業務内容とかは正直どうでもいいんだ。
そんなことより、若いうちに失敗させてくれる環境に身を置きたかった。将来のためじゃなくて、今のために働きたかった。ちゃんと今しかできないことをしたかった。
勤務日の最後、上司が、「後悔するかもしれないけど、きっと今が一番いいから。」って、伝えてくれた。ああ、出会えてよかったな、って思った。あと、バレンタインにチョコをあげたことがあって、そのときのことも教えてくれた。
なにもかも、全部手遅れだったけど、私が辞めなかったらこの話は聞けなかったんだなあと思うと辞めてよかったと思う。
お世話になった本社の人たちに挨拶もした。なんだか色々なことが限界で、もう耐えられなくてやめていくわたしに対して、真剣に話してくれたり泣きそうになってくれたり、世間話するみたいに軽いまま、でもしっかり送り出してくれたり、人となりが出るんだなあって思った。社交辞令だとは思うけど、もっと話したかったよとか言ってくれると辞めたくないなあとは思うわけで。でも引きずりたくないなあと思った。
きっと、これからも後悔ばっかりなんだろうなあと思うけど、ちゃんと自分の足で立って歩かなきゃなあと思えるいい機会でした。
月日が経つと忘れちゃうだろうけど、過去に応援してくれた人がいたことは忘れたくないね。忘れずに、縛られずに生きていけたら理想。
友達の話
一体、ともだちとはなんぞや
私の中で、性別のくくりがあまりない。なさすぎて自分でもよくわからない、が、恋人と友達は別物だとはっきりおもう。
私の中で、セックスするしないや、キスのするしない、など、瑣末な問題でしかない。同性異性問わずセックスできるともだちはいるし、セックスできてもキスはしたくない人、とか、キスはいいけどそのほかは云々、とか、もちろんいろいろある。ひとの数だけある。
キスやセックスって、ただの粘膜接触でしかないんじゃないかとここ最近思っているのだが、どうやら世間一般では違うらしい。
ある程度心を許していたら、お互いに信頼できていれば、その辺りはなんとでもなるんじゃないかと思う、のだけれど実際どうなの。
だってあの頃毎日くらいセックスしてた元恋人は今じゃ友達だし、なんなら家族みたいなもんだし。恋人にしてもらえなかったけど添い寝してもらったあの人のこと忘れられなくて、これは恋なんだけど、抱いてもらったらそこでおしまいだと思うからまた同じ布団で添い寝したい、とか。あるでしょう、みんなそれぞれ。って思ってたんだけど。
よくわからなくて、異性愛者の女友達と話して見てもいまいちピンとこない。全然こない。
きもちよければそれで。とか。クソビッチみたいなこと言うつもりはないけど、セックスすることで得られるのは、性的充足。それ以上でも以下でもないのでないかと思っている。精神的な繋がりが云々とか、幸福感がどうとか言う女がいるけど、わからんこともないけど、そんなの生物学的にインストールされてる初期プログラムで、自分の意思とか考えとか美学とか、いってしまえば理性もないんじゃないの。
私の感覚では、人間同士の信頼関係の上に成り立ってるもので、その相手に自分のその部分を見せれられるってことなんじゃないかなあ。ただそれだけなのでは。
街中のイケメンとか好きな俳優に抱かれたいと思うのはただの性欲解消というか、顔や外見の好みによるもの。人間の外側のはなし。
私は人間を内側で好きになる傾向があることがいままで生きてきてわかったから、そう考えるとコミュニケーションによって人間を好きになるということになる。
セックスは、私のなかでコミュニケーションに含まれる。
つまり、私の中では所謂「行きずりの関係」というものが成り立つ図式になるネ。まあそうだろうね。わかってた。
私の中で、趣味はカテゴライズされてる。趣味っていうタスクのなかでカテゴライズされて、棚に並んでる。ああ、趣味ってより好きなものって名前の方がしっくりくるんだけど、その中にひとつずつに顔が浮かぶ子達がいてくれて、共通の好きなもの、好きだったものがある、もしくはあったひとたちが所謂友達枠なのかな。いまの恋人と、共通のそういうものがないのがすっごいおもしろく感じている。
ご飯食べるのがすき、とか、ほどほどになくもないんだけど、どこかにカテゴライズされるようなものは一つもない。なのに一緒にいると楽しいんだよね。
人生における衝撃的な出来事の一つだし、いまでもただ不思議で、ただおもしろい。この人にであって、人生観は変わったきがする。
でも、そこそこに共通点がなくたって一緒に居られる友達っているよね。さっきの理論で言えば、共通項がなくなったら友達じゃないのかっていえばそうじゃないし、過去の重なりあっていた部分から如何にお互いの居心地のいい場所をお互いが提供できたのかで変わるものなのかもしれないね。
友達とか、そんな名前なくなって、ぜんぶぜんぶ大切な人、でいいのにね。ひとりでも欠けたらさみしいんだもん。
結婚の話
私は、もともと結婚願望がないのだが、レズビアンだと自認したときから社会的に不可能であったから、誰かと同居はするのかな、くらいにしか思っていなかった。結婚したいだの寿退社したいだの、あーだこーだ言う同級生の輪のなかに入ることもなかった。……いや、あったかもしれない。
私は、そういう同級生を横目に、一人で生きていくにはどうしたらいいのか、という考えのもとに進路を決め、就職先を決めた。
結婚をする選択肢なんて一ミリも視野にいれていなかった。結婚に伴う離職とか、妊娠とか、そんなことも全く考えずに生きてきた。
だが、今、その可能性があるのだ。正直ビビっている。結婚というものがどういうものなのかも良くわからない。怖い、というのが正直な感想である。
女を24年間やって来て、人生最大の問題に直面している気がする。気がするだけかもしれない。
過去の私の決断が、私のアイデンティティを根底から覆す大きな問題になるなんて全く思っていなかった。
本当は、やりたかったことがたくさんあった気がする。自分を納得させるために気持ちを置いてきぼりにして頭で考えていたツケが廻ってきた気すらしている。
そうそう、カムアウトは深刻な問題だよ、当人にも周りにも。と、ニュースのLGBT特集をぼんやり見ながら思っている。
女の子と真剣に付き合ってた7年とか、そんな年月は今更無かったことにできないし、何よりしたくないからこそ一生付き纏うとし、次の職場ではなんかもうその辺もオープンにしたい。でも無理なんだろうなあ。たぶん。
生き辛さとか、そんなものについて考える機会があったのはよかったんじゃないかなと思うけど、でもさあ、やっぱりさあ、普通に生きて異性と結婚して、って、恋愛対象について悩むことの蚊帳の外にいるひとたちがちょっと羨ましいし、みんながなに考えて生きてるんだろうなあっていうのはすごく不思議。
それぞれに抱えてるんだろうけど、私が考えすぎなのかもしれないけど、今一番大切な人達に伝えられないことがあるのは後ろめたいよね。っていう話。