覚悟と将来の話
この前、同棲を始めた友達のおうちにお邪魔してきた。
住所を聞いていたので、駅から歩いてひとりでおうちにたどり着いたんだけど、二人の価値観を表しているみたいなかわいいおうちで、外観を見たときに「愛の巣だなあ」と思った。
ふざけて「ただいま」って入ろうとしたんだけど、初対面の子もいたから大人しく「お邪魔します」っていいながら玄関で靴を脱いだ。だけどあとから話を聞いたら、他の子たちは「ただいま」って入ってきたらしい。わたしも「ただいま」と迷った、って言ったら笑ってくれて嬉しかった。
そこから夜ご飯を食べて、夜通しゲームをした。とてもたのしかったし、たくさん騒いだ。そして気付けば朝になって、おうちの住人の二人の話し声で目が覚めた。わたしたちはリビングの隣の部屋でマットレスをひいてもらって寝たんだけど、壁を挟んだところでお話している二人の声が、ぼそぼそ聞こえた。なんだか楽しそうで、二人の生活にお邪魔している感じがしてとてもよかった。そうそう、こういうのが見たかったんだよ。って思ったし、とても嬉しかった。起きてみたら太陽の日差しが綺麗だった。
そのあと、おひなまつりをした。ちらし寿司とお吸い物を振る舞ってくれて、みんなで食べた。薄味で安心する味がした。とても美味しかった。
みんながみんな、それぞれに世間と戦ってて、すごくいい空間だった。ほんとうに、あの場のみんながとっても好きだし、永遠に続けばいいのに、って思った。抱えてるものはそれぞれ違うし、色も形も重さも違うけど、毎日笑って、楽しんで暮らしたいみんなの気持ちが充満していて、とても幸せな昼下がりで、愛か溢れていた。きらきらしていた。
あのアパートには希望と未来が溢れていたし、根底には二人の覚悟が横たわっていた。綺麗事だけじゃ生きていけないんだなあ、って強く思った。
「わたしが先に介護されるかもしれないでしょ?」って笑って言い合える友達カップルたちがほんとうにかっこよくて、彼女たちみたいになれたらなあ、と思いました。
同棲と家の話
わたしの家は、家族が法律だった。実家を出た今でもそれは変わらない。
だから、もし結婚とかそんなことになったら、両家への挨拶とか格式張ってちゃんとしてる結納とか、なんなら地域に伝わるナントカ行列みたいなのとか、餅を近所の人を集めて撒いたりするやつとか、披露宴は避けられないんだろうなあと思う。
わたしには結婚したことを披露したい友達もいないし、そこにお金をかけるなら、そのお金で旅先のホテルと道中の飛行機の座席をグレードアップしたい。余分に一泊したい。
ウエディングドレスを借りて、自分でメイクをして、着飾って、かわいいスタジオを借りて写真を撮りたい。写真が上手な友達に対価を払ってお願いできたら思い残すことは何もない。可愛さ(当社比)を保存できる。最高である。
……とまあ、こんなことをふわっと考えていたのですが。
なんかもう全てがめんどくさくて砲丸投げしたくなるので聞いてください。
少し前、今の恋人と同棲の話が出たことがあった。ダメだとは分かっていながら、確認も込めて母に同棲に関する意見を求めたら、田舎の母が一人で乗り込んできたことがあった。誰かと一緒にしか乗ったことのない新幹線に仕事終わりに一人で乗って、都会の電車を乗り継いでわたしの一人暮らしの家まで急に訪ねてきた。
事前の連絡を全くせず訪ねてくる母にさすがに辟易したし、もう、ほんとうに嫌だった。ほんとうに嫌だった。ほんっとうに、ほんとうに嫌だった。どこにいてもこの家族はわたしの家族で、わたしは死ぬまでこの人の子供なんだなと突き付けられて死にたくなった。心配してもらっていることは分かる。とても分かる。感謝の気持ちもあるし、申し訳なさもあるんだけど、絶対に会わない。と思ってしまった。
死にたくなりながら話を聞いた結果、「私の中の価値観が~」とかなんとか言って猛烈に反対された。その挙げ句、今でもたまに「同棲は~」とか、思い出したように言われる。言われるたびに死にたくなる。
私の考えは、といえば、特にどちらかに固まってはいない。
同棲が結婚への必須条件だとは思っていない。なんなら付き合う期間だってどっちでもいいとおもう。相手による、というのかなあ。そんな感じ。
相手がもし一人暮らしなら、生活っぷりはおうちにお邪魔すればなんとなくわかる気がする。日々の会話のなかで一人暮らしあるあるとか、こんな料理がお手軽だよとか、そんな話題が出たり出なかったりでなんとなくわかるんじゃないかと勝手に思っている。本当の本当のところはわからないかもしれないけど、実家暮らしの人といきなり一緒になるよりいいんじゃないかと思っている。
今の恋人は、実家暮らしだ。
だからわたしは、今の人と同棲なしで結婚できる気がしない。
今は週末一緒に過ごしている。一ヶ月の週末が8日あるうち、5日くらいは一緒にいる。
わたしが一人暮らしだからわたしの家に来てもらっているのだが、本当に気を遣わせている。
私は、いくら恋人でも、「自分の家」だから好き勝手して欲しくなくて、だから気を遣って欲しいし、そうあってほしいのでそれでいいんだけど、それにしても日常の姿が見えない。何も見えない。
し、私も出来る限り取り繕っている。
一緒にいるときは、独り言で口汚く、机の角に小指をぶつけた自分を罵ることもしないし、使い終わった食器も洗濯もこまめに洗うし、お風呂も入りすぎなくらい入る。別に気が乗らないときもちゃんと恋人の話を聞くし、恋人がたまに手伝ってくれる洗い物に時間がかかりすぎても水を出しすぎていてもニコニコしている。脱いだコートをほったらかしにしていても、靴下が脱ぎっぱなしでも、大きい子供だと思って褒めて伸ばすことを心掛けている。
もうわたしほんと偉くない???????
思い出したらイライラしてきた。
ほんとに、マジで、わたしの思った通りに動けよ今すぐ。って思うんですよね、イライラゲージが貯まると。 外にいたら貯まらないんです。自分のテリトリーじゃないから。だけど自分だけのテリトリーに入った瞬間すごい勢いでゲージが貯まっていく。
自分だけの部屋なら、部屋が汚いとか服が散らばっているとかの事象の原因が全てわたしだから自業自得だし納得もできるんだけど、自分以外の何かが散らかすのすごく腹立たしいんです。
それもあって家を出たいとずっと思っていました。自分だけの空間がとにかくほしかったので人と暮らすのはほんとうに向いていないし、子供なんて尚更だと思うんです。
だからね、一緒に住んでみてお互いの家事に対する本音を確認したりとか、これからちゃんと生活をしていくのがどれだけ難しいのか試した方がいいとおもうんですよ。
幸いにも今まで「家族のスペース」「自分のスペース」しか体験したことがないのでとても不思議だし、現実的に考えて「自分の部屋」は確保できるのか分からないので、一人になれる場所を探してさ迷う癖がある私は不安しかないです。
でも、両親が言う所謂「昔ながらの価値観」もわかる。分かるからこそ、勝手に出ていったところで事態は好転しないし今後気まずいのも嫌じゃないですか。だから相手が「説得できないなら勝手に一緒に住むしかないよね?」って言ったのが絶対に許せないんですよ。
何の話かわからなくなってきたところでもうひとつ。家事に対する覚悟の話を。
先週末の話なんですけどね。
恋人とご飯を食べているときに結婚相手に求める条件の話になりまして。私は、「料理のできる人」と言ったんですけど、その一言が発端でした。揉めました。
私の発した言葉の「料理」の意味は、「献立を作買い物をして調理をし後片付けを行う、という工程を、家計のやりくりをしながらできる人」だったのですが、その認識が自分でも出来ていなかったので、「料理(調理)はやればできる」とか「死の危機に瀕したら作れる」とかガンガンに言われて八つ裂きにしてやる…ってくらいにムカつきました。ほんとうにそういうところ嫌い。
でもそれは私が言葉を整理せずに口から発したから悪かった。私の中の「料理」に対する認識を噛み砕いて教えてあげられなかった私が悪かったんです。
そこで意見を言い合うなかで、つい、「極論を言えば家事全部別でいいじゃん。」って言ったら「そうだよ。極論を言えば。」などと口走ったので、覚悟はできているみたいでした。
もう、なんか、果てしなくイライラしたしめんどくせーことこの上なかったので、そのひとことを聞けて安心しました。
最近、他人のこどもが可愛くて育児ブログをちょくちょく拝見しているんですけど、体力面精神面で子供を産むという行為が相当しんどそうなんですよね。だから早めに産みたいんですよ。産むなら。
だから逆算してみたらそろそろ同棲して半年くらいで結論を出してほしいなと思いました。
アラサーなので婚活市場でも市場価値が下り坂だし、可能ならば人生経験として一度は婚活もしてみたい。
わたしにはやりたいことがいっぱいあるし今後の人生設計も変わってくるので、こんなところで足踏みして若さを浪費するのは間違っているのではないかと思い至りました。
そして別に、待つ必要もないのでは、と。
自分の人生なので自分でなんとかしないと。
両親曰く、「入籍日決定の上結婚を前提に同棲」ならいいらしいので、こちらからプロポーズをして手っ取り早く同棲に持ち込みたく思います。
考えてもどうにもなんねーんだからさっさと動いた方がよくない?無理なら無理でしょ。
というのが現時点の考え。
勢い余ってとてもいいホテルとディナーを予約したので、半年後くらいに逆プロポーズしてこようと思います。ていうかもう時期は別としてお互いに結婚する意思が固まっていればプロポーズとかは再来週とかでもいいのかな。ウケる。
なにも考えたくなくて、さっさと白黒つけてやる。という気分です。
誕生日の話
誕生日を迎えた。
昔、学校のセンセイが、「誕生日は自分が生まれたことに感謝する日」「周りにありがとうを伝える日」と言っていたのを、この時期になると毎年思い出す。
わたしは友達でいてくれる人たちが大好きなので、毎年何かしらで感謝を表現したいと思っているのだが、なかなか難しい。感謝を表現する、というと、安直にオススメのお菓子とかちょっとしたコスメとか、そんなものになりがちなんだけれど、今年は、ひとりずつのことを考えて感謝する年にしたいな、とおもいます。
今まで生きてきて、今年の誕生日が一番楽しかった。友達がいるってすごいことだなあと思う。
新しいことに挑戦しながら周りに感謝して、自分の言動に責任を持つ1年にしたいと思います。
コミュニケーションの話
先日、恋人と「君の名は。」を見た。地上波で放送された後の週末に、月額制の配信サイトで見かけ、見るなら今しかないよね、とかなんとか理由をつけて二人で見た。
絶対に一人で見たくなかったから、二人で見た。号泣することが明白だから。私が。
あらすじは、なんというか一言で言えばラブストーリー。CMでこれでもか、と流れていた「私たち、入れ替わってる……?!」ってやつ。
まあ、そんなこんなでちゃんと見ました。最初から最後まで。視聴後、恋人と話していてとても引っ掛かったことがあったので書き記しておく。
ちょっとここで私の青春の話を聞いてほしい。青春とインターネットの話。
わたしは、インターネットが普及し始めた00年代始めに、個人サイトや当時のSNSを駆使して青春を謳歌した。
特定のチャットに入り浸るところから始まり、掲示板で交流し、当時のSNSで相互フォローになったひとの日記に一喜一憂して、個人のブログを追いかけて。インターネットにどっぷり嵌まっていたアラサー世代ならドンピシャで胸にクる記憶なんじゃないかと思う。
それで、全然知らない人のことをなんとなく近くに感じたり、遠くに感じたり。その鬱憤や諸々を元凶であるインターネットに投げ捨てて、また拾ってもらって、そんなことの繰り返しだった。
当時のインターネットは私たちの逃げ場だったし、好奇心と自尊心と虚無感を満たしてくれるものだった。
インターネットに感謝したり、こんなものなかったらよかったのに、とか、いろいろな感情を抱きながらわたしは大人になった。
そして大人になった今、昔はわたしたちの逃げ場だったインターネットは、その役割を終えたように見えるほど、違うものになった気がする。
インターネットにおけるコミュニケーションは身近になった。世間から認知された。逃げ場でも何でもなく、自己顕示欲を満たすために、とか、そんな使われ方をしている。
さて、話を戻す。
恋人が「君の名は。」の視聴後、「なんでこれで恋が生まれるの?あれで好きになるのかなあ?」と言うのだ。
それを聞いて、違和感を感じた。私は劇中で生まれる恋心になんの疑問も抱かなかったからだ。なんの疑問も抱かずにぼろぼろ泣きながら見た。
あの映画は、好きになる理由がちゃんと描かれていたと思う。よくわかった。寧ろ丁寧すぎるのではないかと思うくらいだ。痛いほどの二人の気持ちを感じたし、「ああ、わたしでも好きになっちゃうな、」とか、「これはダメだあ……ダメだよ……」とか、見ながら口から漏れていたかもしれない。
でも、そう感じるのは「経験があるから」に他ならなかった。
それを踏まえて、同じ時代を生きてきてもコミュニケーション方法が違うんだなあと思ったし、恋人と私は完全に別人なのだと再認識した。
昔、恋人と「会話は重要なコミュニケーションか」とかなんとか、そんな話題で意見が食い違ったことがある。相手は、「会話をしないと相手のことが分からないし、会話が一番のコミュニケーション」というものだった。対してわたしは、「会話がなくても同じ空間に居られればそれで」とかそんな具合で平行線を辿り、ついには落としどころもあやふやなまま終わったのだが、その時の違和感の一因もここにあったのだなあと腑に落ちた。
なんだか、この事実に気付いたとき、私は今まで狭い世界のなかで深い付き合いをする相手を選んでいたのだなと強く思った。いやあ、この歳になってそんなこと思い知らされるとは。
あと、「あなたとわたしは別人である」という前提に立てたら、もっといろんな人と仲良くなれるしわかりあえるのでは、とか、そんなことをふわっと思いました。
人間って面白いね。
家族の話
わたしは、家族が苦手だ。
とても、いい人たちなのだと思う。大人になるまでわたしのことを育ててくれたことに感謝しかない。だけど、未だに両親との距離の取り方が分からないで居る。
明確に転機になった出来事は分からないけど、「話を聞いて貰えなかった体験」「過保護な家庭環境」が原因なんじゃないかなあと思う。
わたしの両親は共働きで、祖父母に育ててもらった。実家を出るまで、朝晩とおばあちゃんの手料理を食べて育った。母は、朝ギリギリに起きて自分のことをして出勤。祖父母に起こされていたのも何度か見かけた。父には平日は会えなかった。たまに朝見かけるとか、その程度だった。今になってみれば終電あたりに帰ってきていたのだろうが、当時はそんな時間まで起きていなかったので、「大人になったらこんなに働かなきゃいけないんだなあ、やだなあ」くらいにしか思っていなかった。
小学生の頃からいくつも習い事をやらせてもらっていたので、家にいる時間もそんなに多くなかった。なので日曜日も、あんまり家にいなかった。勿論平日よりは家族といる時間が多かったが、片田舎に住んでいたので庭の手入れとか畑の手入れ、稲刈り、納屋の整理とか、なんだかんだ母に理由をつけられて父はほとんど家に居なかった。居たのかもしれないけど、家でゆっくり一緒に過ごした記憶はあまりない。
例えば、私がお菓子を買って欲しかったとき。
とにかく「だめでしょ」と叱られた。だけど私はそれで納得することもなく、「やだやだやだやだ、絶対欲しい」と駄々をこねた。ずーっと駄々をこねていると、お店の人に迷惑をかける、周りに迷惑をかける、という理由で買ってもらえた。そこにわたしが欲しい理由なんて存在しなかったし、幼い頃から「我が家の常識」は「両親(あるいは家族)の常識」だった。
わたしがそれに疑問を持ち始めたのは、小学生か中学生の頃だった。最初は小さな違和感でしかなかった。「よそはよそ、うちはうち」と小さい頃から呪文のように聞かされてきた私にとっては、「そんなもんなのかなあ」とか、「仕方ないなあ」とか、そんな感想しか持たなかった。
そのまま高校生まで育ち、大学生になり、自分は過保護だったのだと思い知った。
確かにいま考えてみれば、ちょっと変な家だった。中高生の間は、部活をしていたり塾に通っていた。部活が毎日あったが、部活を休んで塾に通っていた。母に言われたし、それが正しいことだと思っていたから、部活より塾を優先した。部活も辛かったからちょうどいいや、くらいに思っていた。
大学生になると朝帰りなんてもってのほか、終電で帰ってもちくちく言われ、夜の9時10時を過ぎても連絡を忘れるようなことがあれば、鬼のような着信履歴が残っていた。当時は特になんとも思わなかった。なぜなら、同じような家庭環境、もしくはもっと過保護な家庭の子と仲良くしていたから。
彼氏は?とか、どんな友達がいるの?とか、事細かに聞かれた。当時、既に彼女がいて、インターネットで知り合ったお姉さんと遊んでいたわたしは全て嘘で塗り固め、適当にはぐらかしていた。嘘をついて隠す気なんてさらさらなかった。嘘であることはバレバレだったとは思うが、共通の知り合いが居るわけでもなかったから、わたしが話さなければ真実がバレる心配なんてひとつもなかった。だからどんどん嘘をついた。絶対に本当のことは言わなかった。
わたしは、家族の常識から外れた人間であるといつからか自分にレッテルを貼り、ここまで生きてきた。いつからだったのかはもう覚えていない。
気付いたら同性愛者だったし、世間にどう言われるかより自分が大切だったし、みんなと違うことがしたかった。
だから、家族に「外面だけはいい」とかさんざん言われてきたけど、それはお前たちにとって好都合なんじゃないの、とか、そういうことを思って生きてきた。
過保護な家庭で育った女の子がいろいろな経験をして成長するドラマを見て、わたしの家は過保護だったんだな、と、とても思った。
全く気づかなかった。ほんとうに、全く。
わたしは、幼い頃母に刃物を向けられた経験を今でも思い出す。わたしに刃物を向けながら母は笑っていた。家族もみんな笑っていた。理由はとっても些細なことで、お風呂に入るとか入らないとかそんな話。わたしに包丁を向けたことを母は覚えていないと思う。
あんなこと些細だと思えば思うほど、頭からこびりついて離れなくなる。
幼い頃から日常的に虐待を受けていたわけでもないし、習い事もさせてもらった。恵まれて育った自覚はある。愛情をかけてもらったんだとおもう。
自分の過去を型に嵌める必要がないことは分かっているし、私が特別だなんて思っていない。どこにでもある、普通のことなんだろうと思っている。
わたしは、家族のあり方を、自分の体験でしか知り得ない。だから、「家族になる」ことがひどく怖い。自分と同じ思いをさせたくないし、させないようにする方法も分からない。
子育てに興味はある。だけど、覚悟とか「幸せにしてやる」っていう強い気持ちとか、そんなのがないと、前向きな「いつか子どもがほしい気持ち」も「子育てをしてみたい気持ち」も表明してはいけない気がするのが息苦しい。
結婚がリアリティを増して私の前に現れたときから、子どもについて考えることも増えた。だけど私の周りには、そんなことを相談できる(ほど信頼できる)友達が見当たらなくて辟易する。ぜんぶ抱えて飛び込まなきゃいけないと思うと、飛び込むのを辞めてしまいたくなる。
子育てとか結婚が、みんながするものじゃなくて、ちゃんと自分の意思で選べるようになった。だから選ばなかった人たちや選べなかった人たちからの声も大きくなって、「なんとなくしてもいいかな」とか、ふわっと思っている人たちが声もなく消えていっているんじゃないか、と思う今日この頃です。
幸せのかたちは人それぞれ、ぜんぶ違うと思うのにね。好きにさせてほしいね。
煙草の話
煙草は悪だろうか。
答えは否、だとわたしは思っている。
わたしは喫煙者だ。体に悪いなど100も承知、昔の彼女が吸っていたのがかっこよくて、なんとなく同じだけ寿命を縮めたくて吸い始めたのがきっかけだった。
わたしの周りは、喫煙者が多い。と思う。勝手にレズビアンとオタクには喫煙者が多いと思っている。あ、割合のはなしだし個人の感想レベルで。だから必然的に周りに喫煙者が多い。気がする。
でも、友達の9割はわたしが煙草を吸うことを知らない。わざわざ言うことでもないし、「体に悪いよ」とか「やめなよ」などの言葉を聞くのが心苦しいからだ。
煙草をやめようと思えばいつでもやめられるのだと思う。現に去年か一昨年あたりに半年とかそれくらい適当に禁煙に成功した。
だけど禁煙する気はない。
その理由として、寿命を全うしなくてもいいのではないか、とか、なんとなく日々思っているから。
長く生きたところで食費に医療費、介護をしてもらわなければ生きていけないとなると生きた分だけお金がかかる。今こうやって生きてるだけで年金に保険に家賃に食費、ってお金がかかるのに、これの何倍かになるんでしょう。おまけに年金は貰えるか分からないときた。長生きしない確率に投資しているのだ。これはきっと。
煙草を一本吸う度に5分30秒寿命が縮まるらしい。
吸い始めたときは、ゆるやかな自殺をしてやろうと思っていた。どうせ長く生きたところでケッコンもできないし、シソンハンエイにも貢献できないし、財産だって大切な人に譲渡できるわけでもなく、最終的に大切な人と居られるような希望も持てなかったからだ。癌家系だし肺癌とかで50くらいに死ねたらなあくらいにしか思っていなかった。
今の恋人と付き合い始めてから、相手に「煙草吸わないで、健康が心配」とかなんとか言われて、そりゃあ心配されたら嬉しいですよ。あれよあれよと流されて、(吸い始めたきっかけも先述した秘めたポリシーも伝えられるわけもなく)、なんとなく禁煙してた。でも、デレ期を抜けて正気に戻ったところで相手に左右されるのもなんか嫌だな、と思い至って今。
なんか、別に吸わない理由がなくなってしまった。吸う理由もクソみたいな程度のものだけれど。
閑話休題。
最近喫煙者ばっかり迫害されてる気がしませんか。喫煙者の皆さん。
迫害っていうか、なに、隔離……?いや、隔離はいいんですけどね。
わたしは外では基本的には吸わないし、嫌がる人の前や非喫煙者の前では吸わないスタンスでいる。その理由は、非喫煙者にとやかく言われたくないから。目の前で吸ってしまうと、別に吸ってようが吸ってまいがアンタに迷惑はかけてないでしょ、って言えなくなるから。副流煙はね、マジでよくないから。体に。
また増税するみたいだし。けどワンコインまでは買うつもりではいるけど、ワンコイン越えても買うかもしんないけど。
お酒が飲めたら煙草に手を出すこともなかったのかもしれない。この前も、うっすーく薄めたお酒を時間かけて飲んだのにそのあと気持ち悪くなった。結果リバースしてしまった。体調よくなかったのかな。
わたしが楽しく酔えないことで、飲める子達の楽しくなってる姿があまり見られないのも悔しい。わたしが体質的にあまり飲めないから、一緒にいる子に気を遣わせたり、「相手が飲まないなら飲まない」っていうスタンスの友達が少なからずいて、それもまた寂しい。私だってお前の酔った姿みたいんですけど。なんで見せてくんないの。って思うんです。
お酒はほんとにずるい。羨ましい。体質だから、こればっかりは自衛しなきゃいけないこともわかるし、仕方ないっちゃ仕方ないんだけどさ。
アレルギーみたいなもんで、自分が飲める分には特になんとも思わないよね。昔小麦アレルギーの子にケーキ食べられなくてかわいそうだなって思ってたの思い出して、アレと一緒だなって。そう思われるのも悔しいね。はあ、ただ悔しい。
だから、煙草くらいは許してくんないかなあ。喫煙所でふらっと話したり、なんとなく一緒の空間にいるの嫌いじゃないんだよねえ。
まあなにが言いたいかっていうと、酒が飲めない分、喫煙所コミュニティに加わりたい、と。そういうお話でした。
何歳で死ぬんだろう、私。長生きはしたくないなあ。きっと、比較的若いうちからからだが耐えきれなくなって、病気と一緒に生きなきゃいけなくなるから。
退職の話
先月末で退職した。
命じられた転勤先に通勤するのが困難だったから、とか、理由はいろいろあるけど、やっぱりなんだかんだやりたいことじゃなかったのはとても大きい。やりたいこと、って一括りに言っても成し遂げたいこととか業務内容とかいろいろあるんだけど、そのうちのひとつ、「若いうちに何かを身に付ける」が達成できそうになかったから、っていうのが大きい。
業務内容とかは正直どうでもいいんだ。
そんなことより、若いうちに失敗させてくれる環境に身を置きたかった。将来のためじゃなくて、今のために働きたかった。ちゃんと今しかできないことをしたかった。
勤務日の最後、上司が、「後悔するかもしれないけど、きっと今が一番いいから。」って、伝えてくれた。ああ、出会えてよかったな、って思った。あと、バレンタインにチョコをあげたことがあって、そのときのことも教えてくれた。
なにもかも、全部手遅れだったけど、私が辞めなかったらこの話は聞けなかったんだなあと思うと辞めてよかったと思う。
お世話になった本社の人たちに挨拶もした。なんだか色々なことが限界で、もう耐えられなくてやめていくわたしに対して、真剣に話してくれたり泣きそうになってくれたり、世間話するみたいに軽いまま、でもしっかり送り出してくれたり、人となりが出るんだなあって思った。社交辞令だとは思うけど、もっと話したかったよとか言ってくれると辞めたくないなあとは思うわけで。でも引きずりたくないなあと思った。
きっと、これからも後悔ばっかりなんだろうなあと思うけど、ちゃんと自分の足で立って歩かなきゃなあと思えるいい機会でした。
月日が経つと忘れちゃうだろうけど、過去に応援してくれた人がいたことは忘れたくないね。忘れずに、縛られずに生きていけたら理想。