友達の話
一体、ともだちとはなんぞや
私の中で、性別のくくりがあまりない。なさすぎて自分でもよくわからない、が、恋人と友達は別物だとはっきりおもう。
私の中で、セックスするしないや、キスのするしない、など、瑣末な問題でしかない。同性異性問わずセックスできるともだちはいるし、セックスできてもキスはしたくない人、とか、キスはいいけどそのほかは云々、とか、もちろんいろいろある。ひとの数だけある。
キスやセックスって、ただの粘膜接触でしかないんじゃないかとここ最近思っているのだが、どうやら世間一般では違うらしい。
ある程度心を許していたら、お互いに信頼できていれば、その辺りはなんとでもなるんじゃないかと思う、のだけれど実際どうなの。
だってあの頃毎日くらいセックスしてた元恋人は今じゃ友達だし、なんなら家族みたいなもんだし。恋人にしてもらえなかったけど添い寝してもらったあの人のこと忘れられなくて、これは恋なんだけど、抱いてもらったらそこでおしまいだと思うからまた同じ布団で添い寝したい、とか。あるでしょう、みんなそれぞれ。って思ってたんだけど。
よくわからなくて、異性愛者の女友達と話して見てもいまいちピンとこない。全然こない。
きもちよければそれで。とか。クソビッチみたいなこと言うつもりはないけど、セックスすることで得られるのは、性的充足。それ以上でも以下でもないのでないかと思っている。精神的な繋がりが云々とか、幸福感がどうとか言う女がいるけど、わからんこともないけど、そんなの生物学的にインストールされてる初期プログラムで、自分の意思とか考えとか美学とか、いってしまえば理性もないんじゃないの。
私の感覚では、人間同士の信頼関係の上に成り立ってるもので、その相手に自分のその部分を見せれられるってことなんじゃないかなあ。ただそれだけなのでは。
街中のイケメンとか好きな俳優に抱かれたいと思うのはただの性欲解消というか、顔や外見の好みによるもの。人間の外側のはなし。
私は人間を内側で好きになる傾向があることがいままで生きてきてわかったから、そう考えるとコミュニケーションによって人間を好きになるということになる。
セックスは、私のなかでコミュニケーションに含まれる。
つまり、私の中では所謂「行きずりの関係」というものが成り立つ図式になるネ。まあそうだろうね。わかってた。
私の中で、趣味はカテゴライズされてる。趣味っていうタスクのなかでカテゴライズされて、棚に並んでる。ああ、趣味ってより好きなものって名前の方がしっくりくるんだけど、その中にひとつずつに顔が浮かぶ子達がいてくれて、共通の好きなもの、好きだったものがある、もしくはあったひとたちが所謂友達枠なのかな。いまの恋人と、共通のそういうものがないのがすっごいおもしろく感じている。
ご飯食べるのがすき、とか、ほどほどになくもないんだけど、どこかにカテゴライズされるようなものは一つもない。なのに一緒にいると楽しいんだよね。
人生における衝撃的な出来事の一つだし、いまでもただ不思議で、ただおもしろい。この人にであって、人生観は変わったきがする。
でも、そこそこに共通点がなくたって一緒に居られる友達っているよね。さっきの理論で言えば、共通項がなくなったら友達じゃないのかっていえばそうじゃないし、過去の重なりあっていた部分から如何にお互いの居心地のいい場所をお互いが提供できたのかで変わるものなのかもしれないね。
友達とか、そんな名前なくなって、ぜんぶぜんぶ大切な人、でいいのにね。ひとりでも欠けたらさみしいんだもん。