バナナはおやつ

しがないOLの人生とその先について。

友情と愛情の話

 

わたしには大学時代、暇さえあれば一緒に過ごしていた同じ大学の友人がいた。

 

元々彼女の友人で、そこからなぜか意気投合して二人でよく一緒にいるようになった。

学部が違ったにも関わらず、毎日飽きずに待ち合わせをして、カフェでお茶をして。今日のあったこととかやりたいこととかバイトの話とか、 将来の話とか。すごくたくさんのことを話したし、たくさんの時間を共有した。一週間と少し、二人で旅に出たり、知らない街に出掛けてみたり。彼女には話せないことをこっそり話したりもした。

 

その時の私のすべてを全部知っていたのはその友人だったし、友人のことを一番知っているのは私という自負もあった。「友達以上恋人未満」だったし、「悪友」だった。「相棒」で「戦友」だった。

 

大学を卒業してわたしが遠い場所で独り暮らしをはじめても、友情は続いた。旅行に行ったり、会って話す頻度は減ってはいたけど、この友情はずっと続くと思っていた。

だけど、そんなことなかった。

 

 

当時私には、高校生の頃から付き合っていた彼女がいた。若さゆえの不安定さを残しながら、周りにも恵まれて、高校と大学の思い出の全部が愛しの彼女(と平日の授業後はその友人)との思い出だった。そのくらい一緒にいたし、もちろんこれからもずっと一緒にいるつもりだった。

 

だけど遠距離になって、彼女と会える頻度が減って、そこに様々な理由が重なってお別れしてしまった。

そしてわたしはその直後、いまの恋人と出会って、お付き合いを始めた。今の恋人と付き合い始めたタイミングで例の友人と会う機会があった。

 

友人は、大学を卒業してから「婚約者が」とか、「~で声をかけられた男が」とか言うようになっていた。だが友人も(今は分からないが当時は)レズビアンを自認していたので、どう考えても、「好意を向けられることに喜んで相手の気持ちを踏みにじって弄んでいる」だけだった。

自己評価が極端に低い女だったので承認欲求を男に求めてるんだな、可哀想だな、程度にしか思っていなかったが、友人のことを思って注意してやれるほど善人でもなかった。わたしは「悪友」ではあったけど、友人の「家族」ではなかったし、「恋人」でもなかったから、自分で気付かないと意味がないんじゃない?と、一歩引いたところで話を聞いていた。 

だけど、そんなクソほどどうでもいい話を聞いていたら辟易する。

 

友人とご飯を食べながら、我慢の糸が切れたように故意に口を滑らせて恋人ができたことを友人に報告していた。

 

あの時の友人の表情はいまでも忘れられない。狐につままれたような表情をしながら、目から大粒の涙をポタポタ溢していたし、困惑していた。わたしも困惑した。

宥めても涙は止まらず、わたしも慌ててしまった。だけど見守るしか方法がなかったわたしは、端から見たら「友達を泣かした女」だったろうし、「間抜けな女」だったとおもう。

友人は混乱しながらその場で「裏切られた気がする」「仲間だと思ってたのに」と、絞り出すように教えてくれた。

 

その後、帰路につく友人を見送って、SNSで謝ったけれど、「こちらこそごめんね」という一言を最後に、こちらから連絡が取れなくなった。

 

 

当時、女の子がすきだったし、女の子しか好きになれないと思っていた。だから自分でも混乱していたし、私の人生最大の裏切りを許して貰いたかったんだと思う。今になって思えば、友人に甘えていた。いつもみたいに笑い飛ばすか、適当に流してくれると思っていた。 

だけどそんなのはこっちの都合で、そんなにうまくはいかなかった。泣かせてしまった。落胆させてしまった。

本人曰く、「推していたアイドルに裏切られてショックだった」と、共通の友人に内情を聞かれた際に例えて話しているようだった。

 

あのときの友人にもう一回会えたら何をどう話すのが正解なのか、未だに分からない。だけど、あの時の涙と友人の言葉が頭から離れないし、ふと思い出してしまう。

 

当時の恋人と別れた理由は1つではないし、2人の間の違和感を完全に他人に説明することは不可能に近い。だけどその努力をすべきだったのかなと今になって思う。

今の恋人と付き合っている理由も、ちゃんと話せばよかった。だけど、当時のわたしには、性別という大きすぎる、大抵の人が越えることのできない壁を体当たりで破壊して侵入しきた今の恋人について、ちゃんと言葉にする程の整理がついていなかった。今だったら当時より伝えられることは多いのかな、と思う。

 

 

 

なぜこんな昔話を唐突に始めたのかというと、昔の恋人が例の友人と久しぶりに会った行ったらしく、その時に私のことを聞かれたらしい。その他にも、同じように共通の友人から連絡があって、近況報告と共に「例の友人が気にしてたよ」と教えて貰ったからに他ならない。私自身も、ずっと引っ掛かっていた。

 

いま考えると、わたしは友人に依存されていたのではないかと思う。「悪友」とか「戦友」とか思っていたのはわたし一人だったのかもしれない。友人からすれば、わたしの「異性の恋人ができました宣言」で世界が終わったように感じたのかもしれない。今になっては何も分からない。

 

例の事件から年単位で時間が経っているので、あの頃よりもお互い大人になっていると思うし、大学時代の楽しかった思い出に嘘はひとつもない。あの頃はすべてが楽しかったし、それは全部友人がいてくれたからに他ならない。本当はもう一回仲良くなれたらいいのに、と思っている。あの頃みたいに一緒にベランダから朝日をみれたらいいのに、と思っている。

 

 

友情も愛情も、継続する努力とタイミングで全部雪崩のように崩れてしまうんだな、と、ここ一年くらいで痛感した。再構築するのもタイミングがとても重要だから、きっといま連絡しなければ生涯連絡を取ることはないのかな、と思うことも多々ある。今回のように。

友情と愛情の見分けもわたしにははっきり分からないのに、人間関係は選ばなきゃいけないし、私にはどうすることもできないことが世の中には山ほどある。だから両腕が届く範囲はせめて幸せであって欲しいし、私も一緒に世界一幸せになりたい。