バナナはおやつ

しがないOLの人生とその先について。

大人と子供の話

 

大人になる、ってなんなんだろうなあ、と、考えることが増えた。

 

つい最近まで、就職活動をしながらニートをしていた。2社目の転職もうまくいかず、短期間で辞めてしまって、何をする気も起きずにご飯を食べて寝て起きていた。

 

ほんとうに毎日死にたくて、あれもこれもつまらなくて、でもほんとうに楽しい毎日だった。やらなきゃいけないことがなにもなくて、起きる時間も寝る時間も自由自在。昼間のドラマの再放送もみられる。深夜アニメだって海外ドラマだって見放題。元々なにもなければ家から出るのもいやなので、そんなわたしにはさいこうの毎日だった。もうほんとうに最高。楽しかった。

 

 

このまえ、恋人が有給をとってわたしのおうちで一日ごろごろしていた。わたしは朝会社にいったのだけれど、恋人に駅まで見送ってもらって、そこでばいばいした。帰り、恋人が駅まで迎えに来てくれた。駅からの帰り道、「今日は一日無駄にしたって感じがする。」と溢していたのが気になった。

 

よくよく話を聞いてみれば、「特にやることがなくてごろごろする休日は持て余してしまうし罪悪感がすごい」とのこと。

 

わたしは、この話を聞いて心底驚いたし勿体無いと思った。休みくらいすきに生きたら良いのに。

きっとこの人はちゃんとした人なんだな、と思った。労働をしてお金を稼ぐ意思があって、毎日こつこつ、とか、そういうことができるのかすごいな。と思った。

休みは休むためにあるんだから存分にごろごろすれば良いし、そんなの働くために生きているみたいだし、ほかにやりたいこととか、なにか……こう、人生の目標とか、日向ぼっことか、働くことよりも他のことに興味があるわたしの人生とは全然違う景色が見えるのかなあと思った。 

 

わたしが働き始めていたから、「心境の変化は?」などと聞かれたのだけれど、わたしは昼間の刑事ドラマの再放送が見れなくなったことが悲しいし、朝同じ時間に起きなきゃいけないことにストレスとプレッシャーを感じる。今はまだ自覚症状がないけれど、相当疲弊していると思う。と伝えた。

 

正直、わたしはわたしだし、覚悟していたよりもずっとみんなが優しく接してくれるから、拍子抜け、くらいの感覚でいるのだけど、そういうことは求められていないんだろうな、と思って口をつぐんでしまった。

 

働きはじめたって、心境の変化なんて何もない。働きたくない、としか思わない。だけど、使役され労働をすることが、分かりやすく手っ取り早くお金を稼ぐための手段であることは間違いない。だから、わたしは働く。

なんだけど、どうしても働きたくなかったり働けなかったり、働きたくなさが爆発することもあるし、その面では子供だなあと我ながら思う。

 

 

根本から行くと、こどもからおとなになってもなにも変わっていない。考えすぎる癖は抜けないし、何故を追求してしまうのも変わらない。だけど、自分で自分の機嫌を取れるのが大人になることなのかな、と最近は思う。

 

自分で自分のためにケーキが買えるし、美味しいものが食べられる。ヨガに通ったり、ふらっと新幹線や飛行機で遠出もできる。なぜなら我々は大人だから。

20年間生きてきたご褒美として、自己責任の名の下に自由が約束される。お金を稼ぐのもよし、お金を使うのもよし。借りることだってできちゃう。お酒も煙草もパチンコもできちゃう。こんなにたくさんある娯楽から好きなものが選べて、自由に謳歌できるようになる。

 

小さい頃、わたしの周りに、楽しそうに人生を謳歌している大人はいなかった。電車通学中に見かけるのは、暗い顔で満員電車に乗るサラリーマンと、疲れた顔したお姉さん。わたしは、大人になるのがひどく怖かった。

今になって、大人になって自分の好きなことができるところは悪くないな、とおもっている。

 

わたしは、小さい頃から「大きい会社でちゃんと正社員で働くこと」と「結婚して普通の家庭を持つこと」が「ちゃんとした大人になること」だと思ってきた。両親に言われてきたし、ことあるごとに期待されてきた。

 

「結婚して普通の家庭を持つこと」は早々に無理だと悟ったから、「大きい会社でちゃんと正社員で働くこと」は人一倍ちゃんとしようと思っていた。

 だけど、なんだかもうほんとに全部ぶち破りたくてむずむずするし、なんだかどうしたものかよくわからなくなっている。

自分で自分の殻を破るのが一番難しいな、とほんとうに思う。