バナナはおやつ

しがないOLの人生とその先について。

家族の話

 

わたしは、家族が苦手だ。

 

とても、いい人たちなのだと思う。大人になるまでわたしのことを育ててくれたことに感謝しかない。だけど、未だに両親との距離の取り方が分からないで居る。

 

 

明確に転機になった出来事は分からないけど、「話を聞いて貰えなかった体験」「過保護な家庭環境」が原因なんじゃないかなあと思う。

 

わたしの両親は共働きで、祖父母に育ててもらった。実家を出るまで、朝晩とおばあちゃんの手料理を食べて育った。母は、朝ギリギリに起きて自分のことをして出勤。祖父母に起こされていたのも何度か見かけた。父には平日は会えなかった。たまに朝見かけるとか、その程度だった。今になってみれば終電あたりに帰ってきていたのだろうが、当時はそんな時間まで起きていなかったので、「大人になったらこんなに働かなきゃいけないんだなあ、やだなあ」くらいにしか思っていなかった。

 

小学生の頃からいくつも習い事をやらせてもらっていたので、家にいる時間もそんなに多くなかった。なので日曜日も、あんまり家にいなかった。勿論平日よりは家族といる時間が多かったが、片田舎に住んでいたので庭の手入れとか畑の手入れ、稲刈り、納屋の整理とか、なんだかんだ母に理由をつけられて父はほとんど家に居なかった。居たのかもしれないけど、家でゆっくり一緒に過ごした記憶はあまりない。

 

 

 

例えば、私がお菓子を買って欲しかったとき。

とにかく「だめでしょ」と叱られた。だけど私はそれで納得することもなく、「やだやだやだやだ、絶対欲しい」と駄々をこねた。ずーっと駄々をこねていると、お店の人に迷惑をかける、周りに迷惑をかける、という理由で買ってもらえた。そこにわたしが欲しい理由なんて存在しなかったし、幼い頃から「我が家の常識」は「両親(あるいは家族)の常識」だった。

 

わたしがそれに疑問を持ち始めたのは、小学生か中学生の頃だった。最初は小さな違和感でしかなかった。「よそはよそ、うちはうち」と小さい頃から呪文のように聞かされてきた私にとっては、「そんなもんなのかなあ」とか、「仕方ないなあ」とか、そんな感想しか持たなかった。

 

そのまま高校生まで育ち、大学生になり、自分は過保護だったのだと思い知った。

 

確かにいま考えてみれば、ちょっと変な家だった。中高生の間は、部活をしていたり塾に通っていた。部活が毎日あったが、部活を休んで塾に通っていた。母に言われたし、それが正しいことだと思っていたから、部活より塾を優先した。部活も辛かったからちょうどいいや、くらいに思っていた。

大学生になると朝帰りなんてもってのほか、終電で帰ってもちくちく言われ、夜の9時10時を過ぎても連絡を忘れるようなことがあれば、鬼のような着信履歴が残っていた。当時は特になんとも思わなかった。なぜなら、同じような家庭環境、もしくはもっと過保護な家庭の子と仲良くしていたから。

 

彼氏は?とか、どんな友達がいるの?とか、事細かに聞かれた。当時、既に彼女がいて、インターネットで知り合ったお姉さんと遊んでいたわたしは全て嘘で塗り固め、適当にはぐらかしていた。嘘をついて隠す気なんてさらさらなかった。嘘であることはバレバレだったとは思うが、共通の知り合いが居るわけでもなかったから、わたしが話さなければ真実がバレる心配なんてひとつもなかった。だからどんどん嘘をついた。絶対に本当のことは言わなかった。

 

わたしは、家族の常識から外れた人間であるといつからか自分にレッテルを貼り、ここまで生きてきた。いつからだったのかはもう覚えていない。

気付いたら同性愛者だったし、世間にどう言われるかより自分が大切だったし、みんなと違うことがしたかった。

だから、家族に「外面だけはいい」とかさんざん言われてきたけど、それはお前たちにとって好都合なんじゃないの、とか、そういうことを思って生きてきた。

 

過保護な家庭で育った女の子がいろいろな経験をして成長するドラマを見て、わたしの家は過保護だったんだな、と、とても思った。

全く気づかなかった。ほんとうに、全く。

 

 

 

 

わたしは、幼い頃母に刃物を向けられた経験を今でも思い出す。わたしに刃物を向けながら母は笑っていた。家族もみんな笑っていた。理由はとっても些細なことで、お風呂に入るとか入らないとかそんな話。わたしに包丁を向けたことを母は覚えていないと思う。

 

あんなこと些細だと思えば思うほど、頭からこびりついて離れなくなる。

 

 

幼い頃から日常的に虐待を受けていたわけでもないし、習い事もさせてもらった。恵まれて育った自覚はある。愛情をかけてもらったんだとおもう。

 

自分の過去を型に嵌める必要がないことは分かっているし、私が特別だなんて思っていない。どこにでもある、普通のことなんだろうと思っている。

 

 

わたしは、家族のあり方を、自分の体験でしか知り得ない。だから、「家族になる」ことがひどく怖い。自分と同じ思いをさせたくないし、させないようにする方法も分からない。

 

子育てに興味はある。だけど、覚悟とか「幸せにしてやる」っていう強い気持ちとか、そんなのがないと、前向きな「いつか子どもがほしい気持ち」も「子育てをしてみたい気持ち」も表明してはいけない気がするのが息苦しい。

 

結婚がリアリティを増して私の前に現れたときから、子どもについて考えることも増えた。だけど私の周りには、そんなことを相談できる(ほど信頼できる)友達が見当たらなくて辟易する。ぜんぶ抱えて飛び込まなきゃいけないと思うと、飛び込むのを辞めてしまいたくなる。

 

 

子育てとか結婚が、みんながするものじゃなくて、ちゃんと自分の意思で選べるようになった。だから選ばなかった人たちや選べなかった人たちからの声も大きくなって、「なんとなくしてもいいかな」とか、ふわっと思っている人たちが声もなく消えていっているんじゃないか、と思う今日この頃です。

 

 

幸せのかたちは人それぞれ、ぜんぶ違うと思うのにね。好きにさせてほしいね。

 

煙草の話

 

煙草は悪だろうか。

 

答えは否、だとわたしは思っている。

 

わたしは喫煙者だ。体に悪いなど100も承知、昔の彼女が吸っていたのがかっこよくて、なんとなく同じだけ寿命を縮めたくて吸い始めたのがきっかけだった。

 

わたしの周りは、喫煙者が多い。と思う。勝手にレズビアンとオタクには喫煙者が多いと思っている。あ、割合のはなしだし個人の感想レベルで。だから必然的に周りに喫煙者が多い。気がする。

 

でも、友達の9割はわたしが煙草を吸うことを知らない。わざわざ言うことでもないし、「体に悪いよ」とか「やめなよ」などの言葉を聞くのが心苦しいからだ。

 

煙草をやめようと思えばいつでもやめられるのだと思う。現に去年か一昨年あたりに半年とかそれくらい適当に禁煙に成功した。

 

だけど禁煙する気はない。

その理由として、寿命を全うしなくてもいいのではないか、とか、なんとなく日々思っているから。

 

長く生きたところで食費に医療費、介護をしてもらわなければ生きていけないとなると生きた分だけお金がかかる。今こうやって生きてるだけで年金に保険に家賃に食費、ってお金がかかるのに、これの何倍かになるんでしょう。おまけに年金は貰えるか分からないときた。長生きしない確率に投資しているのだ。これはきっと。

 

 

煙草を一本吸う度に5分30秒寿命が縮まるらしい。

吸い始めたときは、ゆるやかな自殺をしてやろうと思っていた。どうせ長く生きたところでケッコンもできないし、シソンハンエイにも貢献できないし、財産だって大切な人に譲渡できるわけでもなく、最終的に大切な人と居られるような希望も持てなかったからだ。癌家系だし肺癌とかで50くらいに死ねたらなあくらいにしか思っていなかった。

 

今の恋人と付き合い始めてから、相手に「煙草吸わないで、健康が心配」とかなんとか言われて、そりゃあ心配されたら嬉しいですよ。あれよあれよと流されて、(吸い始めたきっかけも先述した秘めたポリシーも伝えられるわけもなく)、なんとなく禁煙してた。でも、デレ期を抜けて正気に戻ったところで相手に左右されるのもなんか嫌だな、と思い至って今。

 

なんか、別に吸わない理由がなくなってしまった。吸う理由もクソみたいな程度のものだけれど。

 

 

閑話休題

 

最近喫煙者ばっかり迫害されてる気がしませんか。喫煙者の皆さん。

迫害っていうか、なに、隔離……?いや、隔離はいいんですけどね。

わたしは外では基本的には吸わないし、嫌がる人の前や非喫煙者の前では吸わないスタンスでいる。その理由は、非喫煙者にとやかく言われたくないから。目の前で吸ってしまうと、別に吸ってようが吸ってまいがアンタに迷惑はかけてないでしょ、って言えなくなるから。副流煙はね、マジでよくないから。体に。

 

また増税するみたいだし。けどワンコインまでは買うつもりではいるけど、ワンコイン越えても買うかもしんないけど。

 

お酒が飲めたら煙草に手を出すこともなかったのかもしれない。この前も、うっすーく薄めたお酒を時間かけて飲んだのにそのあと気持ち悪くなった。結果リバースしてしまった。体調よくなかったのかな。

 

わたしが楽しく酔えないことで、飲める子達の楽しくなってる姿があまり見られないのも悔しい。わたしが体質的にあまり飲めないから、一緒にいる子に気を遣わせたり、「相手が飲まないなら飲まない」っていうスタンスの友達が少なからずいて、それもまた寂しい。私だってお前の酔った姿みたいんですけど。なんで見せてくんないの。って思うんです。

 

 

お酒はほんとにずるい。羨ましい。体質だから、こればっかりは自衛しなきゃいけないこともわかるし、仕方ないっちゃ仕方ないんだけどさ。

 アレルギーみたいなもんで、自分が飲める分には特になんとも思わないよね。昔小麦アレルギーの子にケーキ食べられなくてかわいそうだなって思ってたの思い出して、アレと一緒だなって。そう思われるのも悔しいね。はあ、ただ悔しい。

 

 

だから、煙草くらいは許してくんないかなあ。喫煙所でふらっと話したり、なんとなく一緒の空間にいるの嫌いじゃないんだよねえ。

 

まあなにが言いたいかっていうと、酒が飲めない分、喫煙所コミュニティに加わりたい、と。そういうお話でした。

 

 

何歳で死ぬんだろう、私。長生きはしたくないなあ。きっと、比較的若いうちからからだが耐えきれなくなって、病気と一緒に生きなきゃいけなくなるから。

退職の話

 

先月末で退職した。

 

命じられた転勤先に通勤するのが困難だったから、とか、理由はいろいろあるけど、やっぱりなんだかんだやりたいことじゃなかったのはとても大きい。やりたいこと、って一括りに言っても成し遂げたいこととか業務内容とかいろいろあるんだけど、そのうちのひとつ、「若いうちに何かを身に付ける」が達成できそうになかったから、っていうのが大きい。

 

業務内容とかは正直どうでもいいんだ。

そんなことより、若いうちに失敗させてくれる環境に身を置きたかった。将来のためじゃなくて、今のために働きたかった。ちゃんと今しかできないことをしたかった。

 

勤務日の最後、上司が、「後悔するかもしれないけど、きっと今が一番いいから。」って、伝えてくれた。ああ、出会えてよかったな、って思った。あと、バレンタインにチョコをあげたことがあって、そのときのことも教えてくれた。

なにもかも、全部手遅れだったけど、私が辞めなかったらこの話は聞けなかったんだなあと思うと辞めてよかったと思う。

 

お世話になった本社の人たちに挨拶もした。なんだか色々なことが限界で、もう耐えられなくてやめていくわたしに対して、真剣に話してくれたり泣きそうになってくれたり、世間話するみたいに軽いまま、でもしっかり送り出してくれたり、人となりが出るんだなあって思った。社交辞令だとは思うけど、もっと話したかったよとか言ってくれると辞めたくないなあとは思うわけで。でも引きずりたくないなあと思った。

 

きっと、これからも後悔ばっかりなんだろうなあと思うけど、ちゃんと自分の足で立って歩かなきゃなあと思えるいい機会でした。

 

月日が経つと忘れちゃうだろうけど、過去に応援してくれた人がいたことは忘れたくないね。忘れずに、縛られずに生きていけたら理想。

友達の話

一体、ともだちとはなんぞや

 

 

私の中で、性別のくくりがあまりない。なさすぎて自分でもよくわからない、が、恋人と友達は別物だとはっきりおもう。


私の中で、セックスするしないや、キスのするしない、など、瑣末な問題でしかない。同性異性問わずセックスできるともだちはいるし、セックスできてもキスはしたくない人、とか、キスはいいけどそのほかは云々、とか、もちろんいろいろある。ひとの数だけある。

 

 

キスやセックスって、ただの粘膜接触でしかないんじゃないかとここ最近思っているのだが、どうやら世間一般では違うらしい。

 

ある程度心を許していたら、お互いに信頼できていれば、その辺りはなんとでもなるんじゃないかと思う、のだけれど実際どうなの。

 

だってあの頃毎日くらいセックスしてた元恋人は今じゃ友達だし、なんなら家族みたいなもんだし。恋人にしてもらえなかったけど添い寝してもらったあの人のこと忘れられなくて、これは恋なんだけど、抱いてもらったらそこでおしまいだと思うからまた同じ布団で添い寝したい、とか。あるでしょう、みんなそれぞれ。って思ってたんだけど。

 

よくわからなくて、異性愛者の女友達と話して見てもいまいちピンとこない。全然こない。

 

 

きもちよければそれで。とか。クソビッチみたいなこと言うつもりはないけど、セックスすることで得られるのは、性的充足。それ以上でも以下でもないのでないかと思っている。精神的な繋がりが云々とか、幸福感がどうとか言う女がいるけど、わからんこともないけど、そんなの生物学的にインストールされてる初期プログラムで、自分の意思とか考えとか美学とか、いってしまえば理性もないんじゃないの。

 

 

私の感覚では、人間同士の信頼関係の上に成り立ってるもので、その相手に自分のその部分を見せれられるってことなんじゃないかなあ。ただそれだけなのでは。

 

 

街中のイケメンとか好きな俳優に抱かれたいと思うのはただの性欲解消というか、顔や外見の好みによるもの。人間の外側のはなし。
私は人間を内側で好きになる傾向があることがいままで生きてきてわかったから、そう考えるとコミュニケーションによって人間を好きになるということになる。

 

セックスは、私のなかでコミュニケーションに含まれる。

 

つまり、私の中では所謂「行きずりの関係」というものが成り立つ図式になるネ。まあそうだろうね。わかってた。

 

 

私の中で、趣味はカテゴライズされてる。趣味っていうタスクのなかでカテゴライズされて、棚に並んでる。ああ、趣味ってより好きなものって名前の方がしっくりくるんだけど、その中にひとつずつに顔が浮かぶ子達がいてくれて、共通の好きなもの、好きだったものがある、もしくはあったひとたちが所謂友達枠なのかな。いまの恋人と、共通のそういうものがないのがすっごいおもしろく感じている。

 

ご飯食べるのがすき、とか、ほどほどになくもないんだけど、どこかにカテゴライズされるようなものは一つもない。なのに一緒にいると楽しいんだよね。


人生における衝撃的な出来事の一つだし、いまでもただ不思議で、ただおもしろい。この人にであって、人生観は変わったきがする。

 

 

でも、そこそこに共通点がなくたって一緒に居られる友達っているよね。さっきの理論で言えば、共通項がなくなったら友達じゃないのかっていえばそうじゃないし、過去の重なりあっていた部分から如何にお互いの居心地のいい場所をお互いが提供できたのかで変わるものなのかもしれないね。

 


友達とか、そんな名前なくなって、ぜんぶぜんぶ大切な人、でいいのにね。ひとりでも欠けたらさみしいんだもん。

 

結婚の話

 

私は、もともと結婚願望がないのだが、レズビアンだと自認したときから社会的に不可能であったから、誰かと同居はするのかな、くらいにしか思っていなかった。結婚したいだの寿退社したいだの、あーだこーだ言う同級生の輪のなかに入ることもなかった。……いや、あったかもしれない。

 

私は、そういう同級生を横目に、一人で生きていくにはどうしたらいいのか、という考えのもとに進路を決め、就職先を決めた。

結婚をする選択肢なんて一ミリも視野にいれていなかった。結婚に伴う離職とか、妊娠とか、そんなことも全く考えずに生きてきた。

 

だが、今、その可能性があるのだ。正直ビビっている。結婚というものがどういうものなのかも良くわからない。怖い、というのが正直な感想である。

 

女を24年間やって来て、人生最大の問題に直面している気がする。気がするだけかもしれない。

過去の私の決断が、私のアイデンティティを根底から覆す大きな問題になるなんて全く思っていなかった。

本当は、やりたかったことがたくさんあった気がする。自分を納得させるために気持ちを置いてきぼりにして頭で考えていたツケが廻ってきた気すらしている。

 

そうそう、カムアウトは深刻な問題だよ、当人にも周りにも。と、ニュースのLGBT特集をぼんやり見ながら思っている。

 

女の子と真剣に付き合ってた7年とか、そんな年月は今更無かったことにできないし、何よりしたくないからこそ一生付き纏うとし、次の職場ではなんかもうその辺もオープンにしたい。でも無理なんだろうなあ。たぶん。

 

生き辛さとか、そんなものについて考える機会があったのはよかったんじゃないかなと思うけど、でもさあ、やっぱりさあ、普通に生きて異性と結婚して、って、恋愛対象について悩むことの蚊帳の外にいるひとたちがちょっと羨ましいし、みんながなに考えて生きてるんだろうなあっていうのはすごく不思議。

 

それぞれに抱えてるんだろうけど、私が考えすぎなのかもしれないけど、今一番大切な人達に伝えられないことがあるのは後ろめたいよね。っていう話。

 

はじめのいっぽの話

 

転職とはなんぞや。考えても埒が明かなかった。

 

むしゃくしゃした気持ちのまま、藁にもすがる思いでもう一回転職サイトに登録した。アー私が悪かったですごめんなさいから入ろう……。と思いながら頂いた電話に出ると、なんと違う人。部署移動されてしまったそうで。

 

テンプレートに乗っ取って、話はさくさくすすんでいく。転職理由から、どんな業界でどんなことをしてきたか、とか、一時間くらい話したり聞いたりした。

 

前回相談した時は転職自体止められた経緯もあり、それ以来働くことについて考えるようになっていた私は、今日は随分と饒舌に話すことができた。ヤッタネ。

 

 

そのなかでまず、転職とは、今あるものを捨てて新しいものを取りに行くことだ、と教えてもらった。

 

ほう、なるほど。こんな序盤に転職とはなんぞや、の答えが降ってきた。

  

そのあと、現職の現状やこうしたいと思っていること、中途半端な自己分析の類いの諸々を含めた、わたしの伝えたいことを伝えた。

その上で今抱えているやるせなさや消化不良を、言葉のキャッチボールのなかでスッキリ飲み込める形にしてもらえた。さすがプロだった。とても有り難かった。

 

就活とは違って、転職は今出来ることが重視されること、 自分が何がしたいのかが一番大事で、それを達成するために何を優先して何を犠牲にするのか決めること。など。

……分かっちゃいたけど理屈っぽいわたしもプロに説得されて納得。つまり、やりたいことや優先順位をまず決めろ、と。

 

盛り沢山な一時間だったわけだが、本日の一番の収穫は、なんだ私はやりがいを求めているのか、とかわらっちゃうくらい単純なことに気づいていなかったことに自分で気付いたことでした。

自覚はあったんだけど、それを認めたくなかった。

 

全部取っ払うと見えてくるものがあるんだね。吹っ切れた気がする。

 

わたしにとっては、やりがいとか達成感とか、そんなちっぽけなものが何よりのご褒美である。「3年は我慢しろ」とか、「これだからゆとりは」とか、周囲の雑音を一切シャットアウトして、新しい環境に飛び込むことを前向きに考える時間は、私にとって悪くないんじゃないかと思えるようになった。

 

ありがとうKさん。明日もよろしくお願いします。

 

これからの話

 

通勤時間というものは、果たして人生の無駄であるのか。私は無駄だと思う。ある程度以上は猛烈に無駄。そんな私が片道2時間かかる今の職場まで毎日通っているのには、理由がある。

 

引っ越すお金がないからだよ!!!!!

 

現在私は寮に住んでいる。家賃も安くて家具もついていて、初期費用なんて一切かからなかった。だから出ていくならお金がかかるのだ。白物家電やベッドその他云々、部屋のクリーニング代に新しい住居の敷金礼金どうのこうの。目眩がする。

 

入社したとき、ずっと本社勤務だという話だった。なので安心して寮に住みながら金のかかるもろもろの趣味に入れ込みつつ貯蓄型保険や定期預金、さらにはガン保険までに加入し、何かあったときに少しでも自分(や周り)が楽になるように、出来るだけ貯蓄ができるように、と行動してきたつもりだった。そこで降り掛かる突然の勤務地変更。今手元に金はない。全てが仇となった。モウヤダ。

 

さすがに独り暮らしながら通勤に二時間も掛けているとそもそもなんのために働いているのかもうよくわからない。生活のためといったらそれまでだけど、守る家庭もプライドもないわたしには片道二時間と独り暮らしはハードルが高い。

 

しかし実家には帰りたくない、そして金のない私にとって、今現在ここに住み続ける以外の選択肢はないのだ。無責任な転職エージェントの人には転職自体止められるし、人を頼るなという神からのお告げか何かか?

 

 

私のアイデンティティの一番奥で寝転がっているのはレズビアンであるという自意識である。故に、結婚や出産など、そういうライフイベントとは無縁な人生を送ると思っていた。その分老後のための蓄えをしなくちゃいけないな、とか、安定して働けるように手に職をつけないと、とか、思うところはいろいろあって、人生の分岐点でそれを元にして道を選んできた。その結果が今の私である。

 

しかし今の恋人と知り合って、それが根底から覆った。お陰で私史上最高に自分がよくわからない。人生最大のピンチかもしれない。

 

もうキャリアなんてくそくらえだ。私の人生は私が決める。やりたいことを思う存分やって死んでやることを心に決めた。