バナナはおやつ

しがないOLの人生とその先について。

コミュニケーションの話

 

先日、恋人と「君の名は。」を見た。地上波で放送された後の週末に、月額制の配信サイトで見かけ、見るなら今しかないよね、とかなんとか理由をつけて二人で見た。

 

絶対に一人で見たくなかったから、二人で見た。号泣することが明白だから。私が。

 

あらすじは、なんというか一言で言えばラブストーリー。CMでこれでもか、と流れていた「私たち、入れ替わってる……?!」ってやつ。

 

まあ、そんなこんなでちゃんと見ました。最初から最後まで。視聴後、恋人と話していてとても引っ掛かったことがあったので書き記しておく。

 

 

ちょっとここで私の青春の話を聞いてほしい。青春とインターネットの話。

 

わたしは、インターネットが普及し始めた00年代始めに、個人サイトや当時のSNSを駆使して青春を謳歌した。

 

特定のチャットに入り浸るところから始まり、掲示板で交流し、当時のSNSで相互フォローになったひとの日記に一喜一憂して、個人のブログを追いかけて。インターネットにどっぷり嵌まっていたアラサー世代ならドンピシャで胸にクる記憶なんじゃないかと思う。

それで、全然知らない人のことをなんとなく近くに感じたり、遠くに感じたり。その鬱憤や諸々を元凶であるインターネットに投げ捨てて、また拾ってもらって、そんなことの繰り返しだった。

 

当時のインターネットは私たちの逃げ場だったし、好奇心と自尊心と虚無感を満たしてくれるものだった。

インターネットに感謝したり、こんなものなかったらよかったのに、とか、いろいろな感情を抱きながらわたしは大人になった。

 

そして大人になった今、昔はわたしたちの逃げ場だったインターネットは、その役割を終えたように見えるほど、違うものになった気がする。

インターネットにおけるコミュニケーションは身近になった。世間から認知された。逃げ場でも何でもなく、自己顕示欲を満たすために、とか、そんな使われ方をしている。

 

 

 

さて、話を戻す。

恋人が「君の名は。」の視聴後、「なんでこれで恋が生まれるの?あれで好きになるのかなあ?」と言うのだ。

 

それを聞いて、違和感を感じた。私は劇中で生まれる恋心になんの疑問も抱かなかったからだ。なんの疑問も抱かずにぼろぼろ泣きながら見た。

 

あの映画は、好きになる理由がちゃんと描かれていたと思う。よくわかった。寧ろ丁寧すぎるのではないかと思うくらいだ。痛いほどの二人の気持ちを感じたし、「ああ、わたしでも好きになっちゃうな、」とか、「これはダメだあ……ダメだよ……」とか、見ながら口から漏れていたかもしれない。

でも、そう感じるのは「経験があるから」に他ならなかった。

 

それを踏まえて、同じ時代を生きてきてもコミュニケーション方法が違うんだなあと思ったし、恋人と私は完全に別人なのだと再認識した。

 

 

昔、恋人と「会話は重要なコミュニケーションか」とかなんとか、そんな話題で意見が食い違ったことがある。相手は、「会話をしないと相手のことが分からないし、会話が一番のコミュニケーション」というものだった。対してわたしは、「会話がなくても同じ空間に居られればそれで」とかそんな具合で平行線を辿り、ついには落としどころもあやふやなまま終わったのだが、その時の違和感の一因もここにあったのだなあと腑に落ちた。

 

 

 

なんだか、この事実に気付いたとき、私は今まで狭い世界のなかで深い付き合いをする相手を選んでいたのだなと強く思った。いやあ、この歳になってそんなこと思い知らされるとは。

 

あと、「あなたとわたしは別人である」という前提に立てたら、もっといろんな人と仲良くなれるしわかりあえるのでは、とか、そんなことをふわっと思いました。

 

人間って面白いね。